遠くから呼ぶもの…富谷観音三重塔 彫刻そして絵馬・信仰の証

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しばらく前から続いている桜川市の富谷観音のお話です。今回で最終回にしたいと思います。

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今まで、国の重要文化財である柿葺きの三重塔の話ばかりでしたが、他にも注目したものがあったので記述します。それが本殿の正面にある龍の彫刻。


この龍はかなり精巧に彫られていて、さぞや名のある彫り師が手がけたのではないかと想像してしまいました。口と舌、髭、鱗、そして蛇腹の形状など、よくもこれほど手を抜かずに彫り上げるものだと、思わずため息が出ました。


龍は白く見えますが、所々に緑色をした部分があります。もともと緑で色褪せて白くなったのか、それとも緑の部分は苔なのか、どちらなのかはわかりません。


龍は天に昇る前は青龍で、珠を得て降りてくるときは黒龍に、そして齢を重ねると白龍になると聞いたことがあります。もし、彫刻の龍が白龍ならそうとう位の高い龍なのかもしれません。

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この本堂には複数の絵馬が奉納されています。お寺によっては絵馬堂という建物に飾っていることがあるようですが、富谷観音では本堂がそれを兼ねているようです。


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絵馬を見ると、屈強な武者が物の怪を退治していたり


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武者同士が戦っていたり


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天女が描かれていたり


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如来か菩薩か天女か判別つきませんが、ご来迎の図があったり


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龍と女と武者が描かれていたり…


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説話や伝説、昔話に因んだ絵なのでしょうか? いろいろなものが奉納されています。


絵馬というと、お寺に何かの願をかけて、それが成就したときにお礼として奉納されるようです。そのことを考えると、絵馬に描かれていることは掛けた願に因んだことが描かれているのかもしれません。


一言で表すと悪霊退散、仏の加護、戦勝祈願というようなものでしょうか。災いを退けてもらったお礼、敵に勝利したお礼、ご利益を受けたお礼、救いを差し伸べてもらったお礼など、絵馬からいろいろなことを想像するのが楽しいです。


とにかく、これだけの絵馬が奉納されているのですから、多くの人が信仰を寄せていたお寺なのだろうと想像がつきます。


もうひとつ余談ですが、同寺の仁王門にある像は修復中で見られませんでした。通りかかった人の話だと、かなり立派なものなのだということです。機会を見てまた訪れてみたいと思いました。


(撮影:2013.2.3/桜川市)

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遠くから呼ぶもの…富谷観音三重塔 塔は何を伝えるのか


前回からのつづき、桜川市の富谷観音の話です。

前回に記述した通り、三重塔は室町時代に再建されたと伝えられています。現存する塔が再建時のままとは思えませんし、各所に修繕の手が加えられていることでしょう。


よく見ると、組み物のいたるところに色の違う新しそうな木材が見て取れます。これは明らかに最近修繕されたような感じです。気になるのは、古さを感じさせる黒い木材です。こちらは果たして室町時代のものなのでしょうか?

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いずれにしても、きれいに修繕されていることは確かです。もう少し時が経てば、新しい木材も古びた色に変わって全体的には落ち着いた雰囲気になるのではないでしょうか。このような修繕をするのは宮大工の仕事なのでしょうけど、たいした腕だと思います。そのような技と匠が今後も継承されてほしいと切に願います。

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さて、塔の下層の部分に目をやると上層部とは雰囲気が違います。なんとなく色褪せた感じと古さが漂ってきます。特に目立つのが柱です。柱に使用されている木材はかなりの古さではないでしょうか。ひょっとすると、この柱は室町時代のものかも…と思ってしまいます。修繕が加えられているとはいえ、柱は取り替えるのがたいへんでしょう。継ぎはぎすることは可能かもしれませんが、この柱はそんな様子が見受けられません。


橋の欄干のような部分にある擬宝珠は、鉄製ではなく木材です。しかもちょっと変わった形をしているのが気になりました

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そうそう、柱が気になったので土台部分も見てみました。それぞれの柱は礎石の上に載っているだけです。気になる中心の柱は暗くてはっきりと見えませんでした。2年前の大震災で損傷・倒壊しなかったというのはすごいことだと改めて思いました。


(撮影:2013.2.3/桜川市)

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遠くから呼ぶもの…富谷観音三重塔 室町から平成へ

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前回からの続き、桜川市にある富谷観音のお話です。


富谷観音の三重塔は、説明書きに寛正六年(1465)に再建されたとあります。ということは、それ以前からこの地に建っていたということなのでしょう。この室町時代の塔は、関東以北では最古の建造物と言われているようです。塔の先端にある相輪宝珠には「多賀谷前下総守朝経」の刻銘があるとのこと。ほかにも文化財として貴重なものがあるそうです。


木造十一面観音菩薩坐像は平安時代のもので、この寺を開創した行基自ら彫ったものと伝えられているようです。

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多数の文化財の説明があるなか、気になったのは笠間城主藤原時朝が弘長三年(1263)に寄進した木造大日如来坐像です。鎌倉時代の作であるこの像は、現在山形県寒河江市にある慈恩寺の三重塔内に安置されているそうです。この二つの寺院にはどんなつながりがあるのでしょう? 


寒河江の慈恩寺は、富谷観音と同じく行基による創建のようですが、そのつながりだけで仏像が移されるとは思えません。宗派は、富谷観音が天台宗。慈恩寺は真言宗と天台宗の両宗兼学だそうです。宗派によるつながりなのかは定かではありません。両寺のつながりについては今後機会があったら調べてみようと思います。


(撮影:2013.2.3/桜川市)

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遠くから呼ぶもの…富谷観音三重塔

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茨城県の桜川市に富谷観音と呼ばれるお寺があります。桜川市は以前は岩瀬町、それより昔は笠間郡と呼ばれていました。


このお寺の正式名称は施無畏山宝樹院小山寺。天平七年(735)に聖武天皇の勅願により、行基が開創したと伝えられています。


もう20年近くも前のこと、仕事の関係でこのお寺に足を運んだことがありました。境内には三重塔があり、それを見たときに「茨城にも三重塔があるんだ〜」と意外に思ったものです。その当時は神社仏閣や歴史などにはほとんど興味がなく、ただ塔の前を通り過ぎただけでした。


その後も県内の寺社の塔をいくつか目にする機会があったのですが、そのたびになぜか富谷山の三重塔を思い出しました。神社仏閣には興味はなかったものの、素人なりに富谷山の三重塔に価値を感じていていたのだろうと思います。初めて見たときに、端正な姿、美しい組み物、全体のバランスの良さといった洗練された構造に驚いたことは今でもはっきりと覚えています。


最初の出会いから十数年経ったころでしょうか、「また見てみたい」という気持ちがわいてきました。特にここ数年は強く思っていました。そう思いながらもなかなか足を運べずにいたわけです。車ならわずか1時間程度の場所なのですが…


先日その願いを叶えるため桜川市に足を運びました。


久しぶりの対面。最初に見たときの印象通り、素晴らしい塔だと思いました。それにしても、茨城のこんな場所になぜこのような三重塔があるのでしょう。きっと何か理由があるはずです。


今回改めて塔を見て、いろんなことを感じました。もし、時間と余裕があったら次回報告したいと思います。

(撮影:2013.2.3/桜川市)

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12月のきのこたち

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本格的な冬の到来を感じさせる今日この頃。こうなると、きのこと出会う機会はぐんと減るのですが、本日は予想に反して数種類のきのこを見つけることができました(定例のきのこ調査に行ってきました)


というわけで、久々にきのこブログを更新しました。今までも毎月のきのこ調査には出かけて写真を撮っていたのですが、どうにもブログを更新する気にならなかったので、ずっと休んでいました。


「これじゃぁイカんわ!」と思い、今日は更新に踏み切りました。3日分を自動更新で書き込んでおきましたが、それ以降はまた長い休みに入ることでしょう。


(撮影:2012.12.9/土浦市)

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藍の魔術師

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先日、寺院をめぐるツアーに行ってきました。訪れたのは栃木県大田原市にある雲巌寺です。今は大田原市になっていますが、以前は黒羽と呼ばれていました。茨城・栃木・福島にまたがる八溝山の近くにある臨済宗妙心寺派のお寺、それが雲巌寺です。


山林に囲まれた場所に、なぜこのような立派なお寺があるのかとても不思議です。なんでも、禅宗の四大道場の一つにも数えられる寺院だそうです。

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瓜鉄橋(かてっきょう)と名付けられた赤い橋を渡ると、立派な山門を仰ぎ見ることになります。その荘厳さから格の違いが感じられます。じつは以前に何度かきたことがあるのですが、この場所の空気感をもう一度肌で感じたい、山門の威容をまた見たいと願っていた次第であります。

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この日は益子町にも足を伸ばし、国の重要文化財にもなっている西明寺の三重塔を見てまいりました。全国各地に三重塔はありますが、銅板葺きの塔は珍しいそうです。気のせいかもしれませんが、一般的な三重塔よりも屋根の反りが強いような気がします。まるで羽ばたいて飛んで行くかのように見えるのは錯覚でしょうか?


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さて、この日のツアーのなかでひと際印象に残ったのが、二つの寺院を訪問する間に立ち寄った馬頭広重美術館の特別展「広重と東海道展」でした。


東海道五十三次の本物の版画を間近で見るのは初めてでした。


かの有名な「お茶漬けのり」のおまけについていたカードサイズの複写や美術の教科書、画集などでは見たことがあります。その印象が非常に強かったせいがあるのでしょうが、今回実物を見てかなりの衝撃を受けました。


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館内に入って最初の一枚を目にしたとき、まず驚いたのは色です。青でも赤でも黄色でも、その深い色に“ぐいっ”と胸をつかまれる感じです。重厚というような威圧的なものではなく、濃厚な色の世界に引きずり込まれるような不思議な力を感じました。


この色は油絵の絵の具、水彩画の絵の具では出せない色のような気がします。なんでこんな色が出せるのか考えてみました。そこで思いついたのが顔料です。これは鉱物の色なのだろうと勝手に解釈。念のために館内の学芸員さんに聞いてみたら、やっぱり顔料を使用しているとのことでした。これで胸のつかえがとれました。


鉱物の色って何か不思議な力を秘めているような気がします。というか、鉱物自体に力があるのかもしれません。

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ふと思ったのが、多くの女性が宝石に興味を示すのはこのことが理由なのではないかということ(たぶんはずれていると思います)。こんな妄想めいた考えに導いてしまうほど、鉱物の創り出す色は魅力的だということです。


やっぱり実物の版画は違う。一言で表せばその通りなのですが、この一言に至るまでに様々な思いが脳裏を駆け巡りました。ひとつには、印刷物と本物との歴然とした違い。色については両者の間には雲泥の差があります。このギャップを埋めるには顔料で印刷するしかないと思います。そうなると一冊何万円もする画集になってしまうのでしょうね。


色続きの話になります。版画を見ていて思ったのが色数の少なさです。ほんの数色であれほどの豊かな表現ができるのかと感心するほどです。特に広重の版画は青というか群青というか、深い藍色が特徴的です。多くの版画の上の部分にグラデーションをかけて帯になっている藍色は、画面をグッと押し付けて圧縮しているような効果があるのではないでしょうか。


変なたとえですが、作者の一念が空気のように漏れないようにする為に上から蓋をしているような感じです。試しに、眼前に指をかざして絵の上部を隠すと雰囲気が違う絵になります。なんというか“すかっ”と力が抜けていってしまうような絵に見えます。藍色の帯の効果はかなりのものではないでしょうか。


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さて、この藍色の使い方について興味深い話を学芸員さんから聞きました。この藍色は「ベロ藍」と呼ばれるそうです。当時広重が多用したことで、現在では彼のトレードマークにもなっているそうです。当時の版画に使われている顔料のほとんどは国産の顔料ですが、このベロ藍は輸入物だそうです。しかも比較的大量生産が可能だったらしく、値段も手頃で手に入りやすかったのかもしれません。


ベロ藍とはちょっと変な名前です。なんでベロなのか調べてみると、ベロとはベロリンのことだそうです。昔はドイツの首都ベルリンをベロリンと発音していたらしく、そこからベロ藍と呼ばれるようになったとのことでした。ベルリンで顔料製造を行っていたハインリッヒ・ディースバッハという人物が偶然この顔料を発見したということです。かつてドイツの一部はプロイセンとも呼ばれていました。よく耳にするプルシアンブルーという色とベロ藍は同じものだそうです。


このベロ藍を最初に使ったのは渓斎英泉と言われているようです。その後、葛飾北斎が使用し、広重も使うようになったとか(この件については、伊藤若冲が日本で最初に使った人物という記録もあるそうです)。


版画の研究者の間ではベロ藍と言えば広重という構図が出来上がっているそうですから、いかに作品に多用されたかがわかります。まさに広重は“藍の魔術師”だったのかもしれません。

このほかにも、学芸員さんから版画に関する興味深い話を聞かせていただきました。


簡単に言うと、版画は絵師・彫師・摺師がまさに三位一体となって作り上げるものだそうです。正確に言うとこれに版元(今で言う出版社)が絡んで四位一体となります。一番力があるのが版元で、絵師・彫師・摺師の選定はもちろん、どんな企画で出版するかも決定するそうです。


版画と言うと絵師ばかりが脚光を浴びますが、現存する素晴らしい作品の陰には他の人たちの見えない力が加わっていることも覚えておかなければならないと思いました。


ちなみに、原画は原版を作るときに彫られてしまうので跡形もなく消えてしまうそうです。原版を作る彫師ってさぞかし器用な人なんでしょうね。また、失敗が許されない緊張する作業なのだろうとも想像できます。


とにもかくにも、素晴らしい作品は奇跡とも呼べる不思議な縁が重なって生み出されたものなのだと実感しました。

※版画の写真は那珂川町馬頭広重美術館が、今回の特別展のために制作した図録です。

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その花に雅な薫りあり。

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パサッ、パサッと天から降る花びら。


花びらの近くには香を焚いたような匂いが漂います。


手に取るとちょっとベタつく感じのする花びら。それにグッと鼻を近づけてみると、やや薬臭い匂いがします。この化学臭が距離を置くと香のような匂いに感じられるのか…と不思議な感覚に包まれます。


きっと昔の貴族にとって、この匂いが高貴な薫りと尊ばれたのかもしれない…などと勝手な想像が働きます。そう言えば、家紋などにも桐の花が使われていたことを思い出しました。


自分の住んでいる茨城県南部のとある町。ここはその昔、桐の産地だったと聞いた覚えがあります。確かに家の近くには桐がたくさん植栽されていました。子どもの頃、あれほどたくさんの桐が身近にあったにもかかわらず、この薫りをまったく記憶していません。


たまたま手にした桐の花から意外な発見をしたわけでありますが、まだまだ知らないこと、気づいていないことが山ほどあるのだろうと思います。


「次はどんな発見があるんだろう?」と考えると、人生がちょっと楽しくなるような気がします。

(撮影:2012.5.13/土浦市)

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高貴なスゲだったのね

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見慣れないスゲの一種を目にしました。

名前はジョウロウスゲです。

漢字では「上臈菅」と書くようです。

上臈とは、簡単に言うと身分の高い人や年功を積んだ高僧のことを意味するようです。平安時代中期以降、官人社会において一臈・二臈・三臈という具合に、任官・叙位の順番がつけられていたとか。また、先に任ぜられた者を上臈、後から任ぜられた者を下臈と呼んで区別したそうです。いわゆる先輩後輩という序列なんでしょうかね?

官位の話は別にして、あまりお目にかかれない植物なので話題にしてみました。

聞いた話によると絶滅危惧種だそうです。


(撮影:2012.7.1/土浦市)

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なぜ、親子は恐山を目指すのか?

「恐山に行ってみた〜い!」


「よっしゃ、行ってみっか!」


そんな会話をした娘と父親は…


ゴールデンウィーク中のとある日の早朝・午前3時、薄暗いなか車のエンジンをかけて北へ向かいました。


茨城から秋田の角館〜田沢湖〜八幡平〜青森〜大間と各所に寄りながら、恐山に着いたのは翌朝の7時。


爆走と言うか、暴走と言うか、ある種のバカとしか言いようのない旅をしてきました。


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恐山、それは親子にとって未知の場所でありました。しかし、情報化社会と呼ばれる現代において、恐山に関する情報はいろんなところから入ってくるものです。その情報をもとに、自分のなかで勝手に恐山のイメージを作り上げていました。


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娘が恐山のイメージをどのように描いていたかは知りようがありませんが、私のイメージは今回の暴走旅行で大きな音を立てて崩れ去ってしまったのであります。

どのように崩れたかは説明すると長くなるので、今回書くのはやめておきます。というか、改めて書きたいと思います。


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今回はそのプロローグとして、旅のきっかけとなった恐山の写真の掲載に留めることにします。


心と時間、体力的な余裕があったら、次回から順を追って「暴走の行程」を紹介していきたいと思います。


(撮影:2012.5.6/青森県・恐山)

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3年目の赤尾瀬

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仕事で尾瀬(尾瀬ケ原)に行くようになってから3年目。毎年、初めに目にするのは雪解け直後の何もない尾瀬ケ原です。


この時季の尾瀬ケ原は気の早い植物の芽吹きがありますが、ほとんどは枯れた水苔や前年の植物が横たわった赤褐色の空間です。


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この何もないすっきりとした湿原にどっしりと構えているのが至仏山と燧ヶ岳。見通しがとてもいいので、山の存在が際立ちます。


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早々と花を咲かせるミズバショウを目当てに、大勢のハイカーが訪れています。そうなんです、春の尾瀬と言ったらミズバショウというのが定番なんですけど…


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私は、な〜んにもない突き抜けた尾瀬ケ原の空間を見るのがいつも楽しみなんです。


もちろん、ミズバショウもいいんですが、この肩すかしを食ったような空虚感さえ漂う尾瀬ケ原がなんとなく好きですね〜


露になった山肌と残雪が作り出す模様。それが尾瀬ケ原の背景にアクセントを添えています。これに青空と白い雲が加わったら、最高ですね。


自分は、冬を除いた春・夏・秋の尾瀬を見ているわけですけど、それぞれに魅力を感じます。春の魅力と言ったら前述した「突き抜けた空間」が醸し出す見晴らしの良さではないでしょうか。


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夏は、狂おしいくらいの生命の息づかいを感じる賑やかさ。秋は、鮮やかに彩られた舞台のような華やかさがあります。残念ながら冬の尾瀬だけは見たことがありません。勝手な想像ですが、そこは物音ひとつしない静寂の世界が広がっているような気がします。きっと分厚い雪の絨毯が、すべての音を吸収してしまうのではないでしょうか。


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尾瀬の四季を色でたとえると、春は「赤尾瀬」だと思います。夏は緑に包まれた「青尾瀬」、秋は紅葉の眩しい「金尾瀬」、冬は白銀の世界となった「銀尾瀬」。


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毎年この季節に赤尾瀬を見ると、「今年は何回尾瀬に行けるのかな〜」と思う私。さて、2012年はどうなることでしょう?


できることなら、青尾瀬と金尾瀬を見たいものです。


(撮影:2012.5.26/群馬県片品村・尾瀬ケ原)

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