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震災という分岐点に立つ私たち

茨城県南部、自分の住むこの地も震災の被災地となった。身の周りでは塀が崩れ屋根瓦が崩落した家を多く見かけた。今のところ全壊した家は目にしていないが、不幸にも家を失った人もきっといるに違いない。道路も陥没やひび割れ、隆起が各所で見受けられ、通行止めの道路が数多くある。

茨城の沿岸地域の被災は内陸部とは比べ物にならないほど大きい。一部の報道や映像で見ても、今までの地震とは桁が違うことがよくわかる。

その桁違いの自然の猛威を見せつけたのが東北地方の太平洋側の津波だった。経験したことのない自然の力、それは予想を遥かに越える形で目の前に姿を現した。

三陸の海岸にある複数の町が一瞬にして失われた。あり得ない高さの津波が押し寄せたことが容易に想像できる。そう、テレビに映し出されたのは信じられない光景だった。これを地獄と言わずして何を地獄と言おう。この一瞬を目の前にした人たちの恐怖を思うと発する言葉がない。もし、自分の家族や知人がその場にいたとしたら、そのとき自分には何ができただろう…

不幸にして津波の被害に見舞われた方々の無事を祈るしか今の自分にはできることがない。一日も早い復興と安定した生活環境が整えられることを願うばかりだ。



地震、津波という自然災害に加え、もうひとつの災害がクローズアップされている。それが原子炉の暴走だ。引き金は地震や津波であったにせよ、「起こりうることが起こった」としか言いようがない。原子力発電の負うべき巨大な潜在危険率。それを承知で私たちは便利で快適な生活を享受していた。今回のことで、今さらながらそのことに気づかされた。


(つづく)

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