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赤銅の海になる尾瀬

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先日、尾瀬に行ってきました。いつものように鳩待峠から山の鼻を経由して尾瀬ケ原へ。牛首の分岐から竜宮、ヨッピ吊り橋をまわり帰ってきました。

写真は牛首の分岐から10分ほど歩いた先にあるお気に入りの場所です。薄曇りの天気ということもあり、歩いていても肌寒さを感じるくらいでした。ちなみにスタート地点の鳩待峠は8℃、山の鼻の温度計は11℃。尾瀬はすでに完全な秋モードというか、冬の始まりみたいな雰囲気です。そう言えば、訪れた翌日には雪が降ったそうです。


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さて、おまけです。こちらはお気に入りの場所の8月初旬の様子。わずか2か月でこの様変わりです。山開きというか、入山ができるようになるのが5月の下旬。ちょうど雪融けから入山が終了する10月の下旬までが約5か月です。その間に尾瀬は春から秋が過ぎてゆくんですね〜。短期間に3つの季節が移り変わるんですから、ひと月いや2〜3週間も間をあけると風景が一変してしまうのに納得です。


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激変ぶりを別の写真で見てみましょう。上が10月の初め、下が8月の初めです。この変身は見事というか、感動ものです。


今回、秋の尾瀬を堪能してきたわけですが、歩いているときに変な感覚に包まれました。風にそよぐ草がさざ波のように見えるのです。まるで海の上を歩いているような錯覚。黄金色よりもっと色濃い海です。それは赤銅色の海でした。


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こちらは見晴十字路からヨッピ吊り橋に向かう途中の様子です。このあたりはだいぶ乾燥していて、ヤマドリゼンマイやススキが群生している場所があります。その様子を目にすると、長い時間をかけて湿原が少しずつ姿を変えているのが実感できます。湿原の変遷といっても数年や数十年の単位ではないでしょう。百年、数百年という時間をかけて変わっていくものなのだと思います。きっと、今自分が見ているのはその一過程なのでしょう。


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世間では、湿原が紅葉するようすを「草紅葉」と呼んだりするようです。これって「くさもみじ」と読むのでしょうか、「くさこうよう」と読むのでしょうか。


葉っぱが色づいた状態を紅葉(こうよう)と言ったりします。また色づくことを紅葉(こうよう)するとも言います。これにならえば「くさこうよう」がふさわしいのかもしれません。


しかし、「くさもみじ」という言葉をかなりの頻度で耳にします。そもそも「もみじ」の語源はどこにあるのでしょうか。


ネット上の情報から、語源は「もみずる」にあるとのヒントを得ました。「紅葉」の“紅”はどうやら紅花のようです。昔から染料として使われているベニバナですが、花をゆっくりと揉み出すと赤(紅)や黄色の成分が抽出できます。その色の変化の様子を秋の葉の色の変化になぞらえたとのこと。


あるサイトでは、ベニバナから色を揉みだす様子から「揉み」が「紅」を指すようになったと書いてありました。この点について、自分はうまく理解ませんでした。でも、色を抽出する作業、つまり色を生じさせる行為やその様子を「揉み出でる」「揉み出ずる」と表現したということは納得できました。そんな「もみ(い)ずる」が「もみず」そして「もみじ」と変化していったとも想像できます。


(この「もみずる」の話は一つの説として紹介されていたものですので、必ずしも事実というわけではありません)


上記のことから判断すると「草紅葉」は「くさもみじ」と言っていいような気がします。しかし、ややこしいのは「もみじ」と呼ばれる樹木が存在すること。自分の場合、この木の名前の先入観が「くさもみじ」と読むことの障害になっています。


(撮影:2011.10.2/群馬県片品村)

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