藍の魔術師

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先日、寺院をめぐるツアーに行ってきました。訪れたのは栃木県大田原市にある雲巌寺です。今は大田原市になっていますが、以前は黒羽と呼ばれていました。茨城・栃木・福島にまたがる八溝山の近くにある臨済宗妙心寺派のお寺、それが雲巌寺です。


山林に囲まれた場所に、なぜこのような立派なお寺があるのかとても不思議です。なんでも、禅宗の四大道場の一つにも数えられる寺院だそうです。

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瓜鉄橋(かてっきょう)と名付けられた赤い橋を渡ると、立派な山門を仰ぎ見ることになります。その荘厳さから格の違いが感じられます。じつは以前に何度かきたことがあるのですが、この場所の空気感をもう一度肌で感じたい、山門の威容をまた見たいと願っていた次第であります。

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この日は益子町にも足を伸ばし、国の重要文化財にもなっている西明寺の三重塔を見てまいりました。全国各地に三重塔はありますが、銅板葺きの塔は珍しいそうです。気のせいかもしれませんが、一般的な三重塔よりも屋根の反りが強いような気がします。まるで羽ばたいて飛んで行くかのように見えるのは錯覚でしょうか?


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さて、この日のツアーのなかでひと際印象に残ったのが、二つの寺院を訪問する間に立ち寄った馬頭広重美術館の特別展「広重と東海道展」でした。


東海道五十三次の本物の版画を間近で見るのは初めてでした。


かの有名な「お茶漬けのり」のおまけについていたカードサイズの複写や美術の教科書、画集などでは見たことがあります。その印象が非常に強かったせいがあるのでしょうが、今回実物を見てかなりの衝撃を受けました。


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館内に入って最初の一枚を目にしたとき、まず驚いたのは色です。青でも赤でも黄色でも、その深い色に“ぐいっ”と胸をつかまれる感じです。重厚というような威圧的なものではなく、濃厚な色の世界に引きずり込まれるような不思議な力を感じました。


この色は油絵の絵の具、水彩画の絵の具では出せない色のような気がします。なんでこんな色が出せるのか考えてみました。そこで思いついたのが顔料です。これは鉱物の色なのだろうと勝手に解釈。念のために館内の学芸員さんに聞いてみたら、やっぱり顔料を使用しているとのことでした。これで胸のつかえがとれました。


鉱物の色って何か不思議な力を秘めているような気がします。というか、鉱物自体に力があるのかもしれません。

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ふと思ったのが、多くの女性が宝石に興味を示すのはこのことが理由なのではないかということ(たぶんはずれていると思います)。こんな妄想めいた考えに導いてしまうほど、鉱物の創り出す色は魅力的だということです。


やっぱり実物の版画は違う。一言で表せばその通りなのですが、この一言に至るまでに様々な思いが脳裏を駆け巡りました。ひとつには、印刷物と本物との歴然とした違い。色については両者の間には雲泥の差があります。このギャップを埋めるには顔料で印刷するしかないと思います。そうなると一冊何万円もする画集になってしまうのでしょうね。


色続きの話になります。版画を見ていて思ったのが色数の少なさです。ほんの数色であれほどの豊かな表現ができるのかと感心するほどです。特に広重の版画は青というか群青というか、深い藍色が特徴的です。多くの版画の上の部分にグラデーションをかけて帯になっている藍色は、画面をグッと押し付けて圧縮しているような効果があるのではないでしょうか。


変なたとえですが、作者の一念が空気のように漏れないようにする為に上から蓋をしているような感じです。試しに、眼前に指をかざして絵の上部を隠すと雰囲気が違う絵になります。なんというか“すかっ”と力が抜けていってしまうような絵に見えます。藍色の帯の効果はかなりのものではないでしょうか。


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さて、この藍色の使い方について興味深い話を学芸員さんから聞きました。この藍色は「ベロ藍」と呼ばれるそうです。当時広重が多用したことで、現在では彼のトレードマークにもなっているそうです。当時の版画に使われている顔料のほとんどは国産の顔料ですが、このベロ藍は輸入物だそうです。しかも比較的大量生産が可能だったらしく、値段も手頃で手に入りやすかったのかもしれません。


ベロ藍とはちょっと変な名前です。なんでベロなのか調べてみると、ベロとはベロリンのことだそうです。昔はドイツの首都ベルリンをベロリンと発音していたらしく、そこからベロ藍と呼ばれるようになったとのことでした。ベルリンで顔料製造を行っていたハインリッヒ・ディースバッハという人物が偶然この顔料を発見したということです。かつてドイツの一部はプロイセンとも呼ばれていました。よく耳にするプルシアンブルーという色とベロ藍は同じものだそうです。


このベロ藍を最初に使ったのは渓斎英泉と言われているようです。その後、葛飾北斎が使用し、広重も使うようになったとか(この件については、伊藤若冲が日本で最初に使った人物という記録もあるそうです)。


版画の研究者の間ではベロ藍と言えば広重という構図が出来上がっているそうですから、いかに作品に多用されたかがわかります。まさに広重は“藍の魔術師”だったのかもしれません。

このほかにも、学芸員さんから版画に関する興味深い話を聞かせていただきました。


簡単に言うと、版画は絵師・彫師・摺師がまさに三位一体となって作り上げるものだそうです。正確に言うとこれに版元(今で言う出版社)が絡んで四位一体となります。一番力があるのが版元で、絵師・彫師・摺師の選定はもちろん、どんな企画で出版するかも決定するそうです。


版画と言うと絵師ばかりが脚光を浴びますが、現存する素晴らしい作品の陰には他の人たちの見えない力が加わっていることも覚えておかなければならないと思いました。


ちなみに、原画は原版を作るときに彫られてしまうので跡形もなく消えてしまうそうです。原版を作る彫師ってさぞかし器用な人なんでしょうね。また、失敗が許されない緊張する作業なのだろうとも想像できます。


とにもかくにも、素晴らしい作品は奇跡とも呼べる不思議な縁が重なって生み出されたものなのだと実感しました。

※版画の写真は那珂川町馬頭広重美術館が、今回の特別展のために制作した図録です。

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なぜ、親子は恐山を目指すのか?

「恐山に行ってみた〜い!」


「よっしゃ、行ってみっか!」


そんな会話をした娘と父親は…


ゴールデンウィーク中のとある日の早朝・午前3時、薄暗いなか車のエンジンをかけて北へ向かいました。


茨城から秋田の角館〜田沢湖〜八幡平〜青森〜大間と各所に寄りながら、恐山に着いたのは翌朝の7時。


爆走と言うか、暴走と言うか、ある種のバカとしか言いようのない旅をしてきました。


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恐山、それは親子にとって未知の場所でありました。しかし、情報化社会と呼ばれる現代において、恐山に関する情報はいろんなところから入ってくるものです。その情報をもとに、自分のなかで勝手に恐山のイメージを作り上げていました。


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娘が恐山のイメージをどのように描いていたかは知りようがありませんが、私のイメージは今回の暴走旅行で大きな音を立てて崩れ去ってしまったのであります。

どのように崩れたかは説明すると長くなるので、今回書くのはやめておきます。というか、改めて書きたいと思います。


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今回はそのプロローグとして、旅のきっかけとなった恐山の写真の掲載に留めることにします。


心と時間、体力的な余裕があったら、次回から順を追って「暴走の行程」を紹介していきたいと思います。


(撮影:2012.5.6/青森県・恐山)

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3年目の赤尾瀬

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仕事で尾瀬(尾瀬ケ原)に行くようになってから3年目。毎年、初めに目にするのは雪解け直後の何もない尾瀬ケ原です。


この時季の尾瀬ケ原は気の早い植物の芽吹きがありますが、ほとんどは枯れた水苔や前年の植物が横たわった赤褐色の空間です。


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この何もないすっきりとした湿原にどっしりと構えているのが至仏山と燧ヶ岳。見通しがとてもいいので、山の存在が際立ちます。


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早々と花を咲かせるミズバショウを目当てに、大勢のハイカーが訪れています。そうなんです、春の尾瀬と言ったらミズバショウというのが定番なんですけど…


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私は、な〜んにもない突き抜けた尾瀬ケ原の空間を見るのがいつも楽しみなんです。


もちろん、ミズバショウもいいんですが、この肩すかしを食ったような空虚感さえ漂う尾瀬ケ原がなんとなく好きですね〜


露になった山肌と残雪が作り出す模様。それが尾瀬ケ原の背景にアクセントを添えています。これに青空と白い雲が加わったら、最高ですね。


自分は、冬を除いた春・夏・秋の尾瀬を見ているわけですけど、それぞれに魅力を感じます。春の魅力と言ったら前述した「突き抜けた空間」が醸し出す見晴らしの良さではないでしょうか。


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夏は、狂おしいくらいの生命の息づかいを感じる賑やかさ。秋は、鮮やかに彩られた舞台のような華やかさがあります。残念ながら冬の尾瀬だけは見たことがありません。勝手な想像ですが、そこは物音ひとつしない静寂の世界が広がっているような気がします。きっと分厚い雪の絨毯が、すべての音を吸収してしまうのではないでしょうか。


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尾瀬の四季を色でたとえると、春は「赤尾瀬」だと思います。夏は緑に包まれた「青尾瀬」、秋は紅葉の眩しい「金尾瀬」、冬は白銀の世界となった「銀尾瀬」。


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毎年この季節に赤尾瀬を見ると、「今年は何回尾瀬に行けるのかな〜」と思う私。さて、2012年はどうなることでしょう?


できることなら、青尾瀬と金尾瀬を見たいものです。


(撮影:2012.5.26/群馬県片品村・尾瀬ケ原)

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好きです東北、好きです弘前

弘前城の報告も最終回となりました。


まずはこちらの看板をご覧いただきましょう。

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むむ、仙人のようなおじいちゃんとお孫さんのお二人。おいしそうにラーメンをすすっています(もう、箸の持ち方からしてただ者ではございません)。


これは弘前城の北門周辺に並んでいる露店群のうちの一軒の看板。言うまでもなくラーメン店のものです。早朝だったため店が始まっておらず、食べることができませんでした。残念です、非常に残念です。


個人的に言わせてもらえば、私はこのような看板に非常に弱いです。味がどうのこうのという前に、このような猛烈なアピールには応えなければならないという使命に燃えてしまいます。


「この看板の店で食べた!」という満足感を求めてしまうところなど、ブランド商品のコマーシャルに一撃されてしまう今時の人間のようにも見えます。しかーし、この手のアピールに敏感に反応する人間は、根本的にブランド志向の人たちとは質の違う人間だと思います。


たぶん、この看板を見て店にふらふらと入ってしまう人は少なからずいるのではないでしょうか。


わかります、その気持ち。


何と言うんでしょうか、冷静な判断を度外視して好奇心という特異な欲望に身を任せてしまうタイプ。私はそういう人間です。だから目的もなく、東北をふらふらと走り回ってしまうのかもしれません。


いや、東北ドライブについては「東北が好きだ」ということが根底にあります。なぜだか理由はわかりませんが東北が大好きです。


さらに、個人的な話がつづきます。

今回の仕事で、朝食の弁当を弘前城近くのお店で注文しました。そこの窓口担当の女性がとても素敵な青森弁を話す方だったんです。


ごくありふれた注文のやり取りなのですが、その数十秒の間にとてもとても温かい気持ちになりました。青森弁には呪文のような不思議な力があります。あの独特の抑揚を聞いていると、詩の朗読や子守唄を聞いているように心が落ち着くんです。


もっと話をしたかったのですが、仕事なのでそういうわけにもいかず、後ろ髪を引かれながらも受話器を置かねばなりませんでした。


さて、上記のことは訪問前のやり取り。訪問当日はお弁当を受け取りに行くわけであります。弘前城訪問も楽しみでしたが、それと同じくらい電話の女性とお会いすることが楽しみでした。


ふふふ…


実際にお会いして、生の青森弁を聞いて痺れてしまいました。


「いや〜、なんてやさしい言葉なんだろう」


こんな優しげな言葉で会話したら深刻な争いなど起こらないのではないかと感じました。極端な話ですが、青森県では夫婦喧嘩などないのではないかと思えたほどです(そんなことはないでしょうが)。


今回のお弁当屋さんとのやり取りで、私の東北好感度は今まで以上にアップしました。ちなみに、電話の女性は声からすると20代かと予想していましたが、実際はその2倍近い方でした。年齢の予想は見事に外れましたが、とても素敵な方でした。ひょっとすると青森弁のやさしさというより、その方のあたたかさというか人間性が言葉に現れていたのかもしれません。


桜の弘前城は素晴らしかったですが、お弁当屋さんの女性も桜以上に素敵でした。


さて、弘前城のお話にもどります。

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観光で訪れると、どうしても本丸とその周辺で見物を終えてしまいがちです。前回の報告で城の外周も見て回ることをおすすめしました。今回訪問して思ったのは、北門周辺を歩いている人が非常に少なかった点です。上の写真は北門周辺を写したものですが、ここから見る桜と岩木山もなかなか風情があっていいものです。


もし、次回訪れることがあったら、私はこの北門周辺の風景をもう一度見たいです。それと、味わえなかったラーメンを食べたいものです。


次回の楽しみを残しておくのも旅の上手な楽しみ方かもしれません…


これにて、弘前城からの報告を終わります。


(撮影:2012.4.30/青森県・弘前城)


※追記というか訂正です(5/18)

今回報告した看板のお店は、ラーメン店ではなく食堂です。しかも、弘前ではかなり有名な老舗でした。何気なくネットで検索してみたら、そのことがわかりました。

三忠食堂(さんちゅうしょくどう)は100年の歴史がある店で、小説のモデルになったり、漫画『美味しんぼ』でも紹介されているそうです。ふむふむ、あの看板に描かれたおじいちゃんとお孫さんが食べているのは、どうやらラーメンではなく「津軽そば」のようですね。

じつは、この仕事の数日後に再び青森を訪れ、サービスエリアで津軽そばを食べました。そのそばは、関東で食べるものとは食感がまったく違っていました。

「なんだか不思議なそばだなぁ…」

と思いつつも汁まで飲み干し、食器を洗い場に戻して「ごちそうさまぁ」してきました。

ここで、新たな目標ができました。

もう一度、弘前城の桜を見ること。そして、三忠食堂の津軽そばを食べること。旅の楽しみは増えるばかりです。

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弘前城、400年の歩き方

前回からのつづきです。

津軽藩初代藩主・津軽為信が1603年に築城を手がけ、二代信枚(のぶひら)が1611年に完成させた弘前城。鷹岡に築城されたことから、別名鷹岡城とも呼ばれるそうです。

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落成したときには五層五階の天守があったそうですが、1627年に落雷のために消失。以降200年近く天守のない城でした。その後、1810年に九代藩主寧親により三層三階の御三階櫓(天守)が建設されたということです。これが現在見られる天守であり、約200年の歴史を伝える建造物になっています。


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もともと南部氏に臣従していた大浦為信ですが、1590年に小田原征伐の際に豊臣秀吉より四万五千石の所領安堵の朱印状を賜り、大浦を津軽と改姓して津軽藩を創設したそうです。


1611年の築城から数えて400年となる弘前城。そんな歴史を耳にすると、城内を歩きながら目にする景色が味わい深いものになるから不思議です。


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城内の桜を愛でるのはもちろん、天守を仰ぎ見たり本丸から岩木山を眺めたりするのも楽しいものです。しかし、それだけではもったいないです。


弘前城には三の丸追手門、南内門、東門、北門と各方角に立派な門があります。どうせならこの門もご覧になることをおすすめします。


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門から城内に進むと、堀を越えて本丸に導く朱色の橋が渡されています。ここから見る景色もなかなか情緒があります。


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さらに欲張って、城の近隣も歩いちゃいましょう。城から少し離れたところから、外堀や岩木山を見るのもまた違った趣があっていいものです。


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すぐそばには「観光館」と呼ばれる建物があります。ここは少し高台になっていて、外堀と岩木山が一緒に眺められます。ここからだと岩木山がひと際大きく見えて迫力があります。


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観光館のそばには旧弘前市立図書館や旧東奥義塾外人教師館など、弘前の歴史を感じさせる建造物があります。どうせならこれらも見てきましょう。


さらに次回、番外編に続きます


(撮影:2012.4.30/青森県・弘前城)

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べっぴん山(さん)やね、岩木山は

弘前城訪問のつづきです。


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桜の弘前城へ行ったら、まずは本丸に行きましょう。ここから眺める岩木山の素晴らしさといったら、まるで美しい絵画を目にしたときのようです。この城の歴代津軽藩主や藩士たちも見たであろう山容…


現代の私たちも同じ場所に立って、それを味わえるというのは気分がいいものです。


標高1700メートルに満たない山ですが、その存在感は2000メートル級に相当します。誰が何と言おうと弘前のシンボルであることは間違いありません。そうなんです、岩木山のある風景が地元の人たちにとってどれほど大切なものか、ここに立てばすぐに理解できると思います。それは、茨城県人(県南地域)にとっての筑波山と同様だと思います。


岩木山はどちらかというと女性的な雰囲気の山ではないでしょうか。火山であるようですが、この季節はまだ雪を戴いていることもあって、おしろい美人のように感じます。


いや〜、べっぴんだわぁ。


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本丸にはさまざまな種類の桜が咲いています。本丸のみならず城内全体に目をやると、いったい何種類の桜があるのかわからなくなります。自分などは、次々に見て、次々に忘れるといったところでした。


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弘前城には、日本一のソメイヨシノが二本あります。ひとつは日本一古い(長寿の)ソメイヨシノ。もうひとつが日本一太いソメイヨシノ。幹周りが5メートル以上あるそうです。上の写真は樹齢130年近い古木です。一般的にソメイヨシノの寿命は60〜80年と言われているそうですから、130年というのは驚異的な年数であることがわかります。

弘前城のリポートは次回につづきます。


(撮影:2012.4.30/青森県・弘前城)

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桜に浮かぶ弘前城、花に埋もれる岩木山

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通り過ぎた春を追いかけて北へ向かう…


晩春の東北へ出かけると特別な思いがこみ上げてきます。


若い頃、毎年のように出かけていた東北。ゴールデンウィークの恒例となっていた爆走ドライブが今では懐かしい思い出です。ドライブはその年ごとに行き先は違っていて、あるときは青森、またあるときには秋田、ときには岩手という具合。その時季に東北に出かけると、咲き始めたばかりの眩しい桜を見ることができたのを今でも鮮明に思い出します。


なかでも弘前城の桜は印象深いものでした。


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そして今春、懐かしい場所に仕事で再び訪れることになったのです。


爆走して東北各地をめぐることが目的だった若い頃と違い、今回は「観光地を訪れる」という明確な目標が科せられていました。仕事とは言いつつも、懐かしい弘前に足を運んだことで、20年以上も前の記憶をたぐり寄せることができました。


正直なところ、桜がきれいでたくさんの人がいたこと、天守が想像していたより小さかったことぐらいしか記憶に残っていなかった弘前城。今回の訪問では新たな発見がありました。


そのことについては次回に報告したいと思います。


(撮影:2012.4.30/青森県・弘前城)

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水軍の国とキャベツ王国

前回のつづきです。

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伊勢神宮を発ったあとバスは最寄りの五十鈴川駅に停留。この近鉄の鳥羽線の駅で降車して電車に乗り換え鳥羽に向かいます。


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関東に住んでいると、近鉄と言うと野球の球団名(古い!)しか思い浮かびません。ところが、実際に車両に乗ったり駅を見たりすると、JRよりも路線や本数が充実していて駅なども豪華であると感じます。


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茨城感覚だと、鉄道は何を置いてもJRが一番で、私鉄はそれを補う路線と思いがち。今回の旅で、そのような発想がとんでもない先入観であることがわかりました。そうなんです、近鉄ってものすごい大企業なんです。


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さて、鳥羽にはJRと近鉄の駅がありますが、JRの駅を撮ってきました。


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こちらは近鉄の鳥羽駅です。私たちは駅から伊良湖行きの伊勢湾フェリーに乗るため、乗り場まで歩いていくことになります。


(余談ですが…鉄道の旅をして車両や駅の写真を撮ることは、意外にも楽しいことだと感じるようになった自分。決して鉄道マニアではありませんが、鉄ちゃんの世界を足を踏み入れてみるのもいいのではないかと思い始めるようになりました)


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鳥羽には有名な真珠会社「ミキモト真珠」の立派な建物や「鳥羽水族館」があって活気にあふれていました。


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鳥羽駅からフェリー乗り場まで歩いていく途中には遊覧船乗り場などがあります。


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道すがら海岸や湾の様子をぼんやり眺めていると、水軍が活動するには絶好の地理なのではないかと感じました。歴史には疎い自分ですが、近代化された現在の街並の隙間から、古い歴史の面影が見えてくるのがおもしろかったです。


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伊勢湾フェリーのデッキからの眺めです。


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いよいよ出航。伊良湖まで55分の船旅の始まりです。


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今風に言うと、「鳥羽〜伊良湖間 約一時間の伊勢湾クルージング」なんて表現するのかもしれませんが、鳥羽港を出港してから沿岸の様子が見える間は、自分が水軍の一員になって漕ぎ出したような気分になりました。


静かな内海には、見晴らしの利く小高い山、舟を係留するのに絶好の場所がそこかしこに見られます。こりゃ、まさしく水軍の基地です。


そんな歴史ロマンをかき消すかのようなものすごい轟音のディーゼルエンジン。沿岸の様子が見えなくなってからは、クルージング気分に切り替えて水平線を眺めることにしました。海上にはとてつもなく巨大なタンカーや客船が航行しています。間近に見えるわけではありませんが、遥か遠くからでもその船体が想像以上に巨大であるのがわかります。


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さて、出航から1時間もしないうちに伊良湖に到着。


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ここは道の駅になっていて、私たちはここからバスで豊橋まで向かう手はずなのですが、実はこの場所で実に愉快なシステムを体感することになります。


まず、フェリー到着の数分前にバスが豊橋に出発してしまうこと。タッチの差で乗れない仕組みです。したがって、お昼間近なので当地で昼食をとることになります。昼食にカレーを食べたのですが、量が少なくて満足できません。こうなるともう一品注文することになります。カレーをもう一杯というのもなんなので、違う店でラーメンをいただきました。


スムースな接続を回避することで、必ず昼食をとったりお土産を買うように仕向ける仕組み。ビジネスの基本が徹底されていることには脱帽しました。ですが、こんな仕組みに取り込まれる人たちはごく少数です。ほとんどの人たちはマイカーとともにフェリーに乗り込んでいます。私たちのように体ひとつで乗り込んでいる客はごくわずか。


フェリーに乗り込んだ時に、「やけに乗客が少ないなぁ」と感じていた自分。その理由は、車を載せられる数が決まっているからでした。車に乗ってきた人数しか乗船しないので、乗客数が極端に少ないようです。


マイカーでない人は伊良湖からバスに乗るしかありません。伊良湖から最寄りの駅は豊橋鉄道渥美線・三河田原駅あるいは東海道本線・豊橋駅です。私たちは豊橋駅まで路線バスを利用することにしました。


伊良湖から30〜40分の間、渥美半島の各停留所をぐるぐる、ジグザクとめぐります(終点の豊橋駅までは2時間近くかかります)。その間、風力発電の巨大プロベラがずらりと並んだ場所や三河湾が見渡せる道を行きます。この途中、ず〜っと目に入るのがキャベツ畑。あまり肥沃とは思えない砂礫の土壌にびっしりとキャベツが栽培されています。その様子は、キャベツの国に来てしまったような印象。愛知県がキャベツの大産地であることを今回知りました。


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さて、豊橋に到着です。はじめて豊橋に降り立ちましたが、想像以上に都会的な場所でした。


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ここからは東海道本線で東京に向かいます。


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途中、掛川駅で乗り換えがありました。


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時間が少しあったので駅前を散策。静かな地方都市といった雰囲気の暮らしやすそうな町です。


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乗り換えの電車に乗り込み、東京に向けて再出発。


このあと、数回の乗り換えを経て地元に帰ってきたのは11時近く。翌日の出勤を思うとなんとなく憂鬱な気分になりましたが、ことのほか充実した旅の内容を振り返ると、重苦しい気分もなんとか振り切ることができました。また今回のような旅がしたい。そう思える二日間でした。

(撮影:2012.3.11)

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語りかける伊勢の松

前回の更新から一か月以上が過ぎてしまいました。突然、仕事が忙しくなりブログどころではなくなってしまい「しばらく更新はやめよう」と思いました。しかし、シリーズの途中でやめるのはなんとなく気持ち悪いので、とりあえず伊勢の鉄道旅行は完結させることにしました。もちろん、時間の余裕が出てくれば書き足していこうと考えています。


余談続きですが、体におかしな変調をきたしているので報告してみたいと思います。


ここ一か月くらい、平日は4〜5時間くらいしか寝ていません。最初は辛かったのですが、しばらくすると平気になってきました。ただし、朝だけは頭も体も自分のものではないような感覚に襲われます。この無重力状態のなかで数十分を過ごすのが快感にさえなってきました。


最近では0時過ぎぐらいに帰っても、「おっ、今日は早いなぁ」と思えるようになったくらいです。もう、これは狂っているとしか言いようがないですね。


自分だけが辛いわけではなく、世の中には同様の状況に置かれている人たちがいっぱいいると思います。そこで考えてみました。まず、そんな状態が長く続くと家族とのコミュニケーションがなくなります。こうなると父親の存在は「金を家に持ってくる」ということでしか証明できなくなるような気がします。これって家族崩壊じゃないでしょうか。もっと広い視野で捉えれば「国家崩壊」だと思います。言い過ぎでしょうかねぇ?


日本経済がどうのこうの、年金制度が破綻しているだの、そんなこと以前に重大な危機が我が国を襲い、蝕んでいるような気がしてならないです。


「豊かさと引き換えに私たちは大切なものを失ってきた」な〜んてことは、事あるごとに聞かされてきました。それは現代社会への警鐘のような決め台詞でもあったはずです。


しかし、もっと深刻な問題がありました。それは、失っていることにさえ気づかないことです。いや、気づいている人は実は多いような気もします。多くの人は、豊かさを手にするには多少の犠牲は必要と割り切っているのかもしれません。


つまりは、割り切らざるを得ないのが問題なのかもしれません。もう私たちは豊かな暮らしという妄想から逃れられなくなっているのかもしれませんよ〜


この「逃れ難き妄想」の件は、昨年の東日本大震災のしばらくあとに強く感じました。じつはあの出来事をきっかけに、多くの人の価値観が大きく転換するだろうと予想しました。しかし、社会は「元通りの生活」を求めて必死に努力しはじめました。今ではなんとか元通りに近い状態まで復元できた感じでしょうか。結果としては、目に消える形で価値観の転換は起こらなかったみたいです。


食料、エネルギー、物流、金融、経済…それは止められない歯車。止まってしまったら一気に分解してしまう社会構造が、いつの間にか出来上がってしまったのかもしれません。


さて、こんなことを書き続けていると睡眠不足で頭がおかしくなったと思われるかもしれません。ひょっとするとその通りかもしれませんが、伊勢の話題に戻りたいと思います。


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3月11日。伊勢の朝はとても爽やかでした。宿泊したビジネスホテル「タウンホテルいせ」から見た伊勢市駅。


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参道の方から伊勢市駅を見ると…
改装工事中でした。


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振り返って、伊勢神宮外宮方面にカメラを向けると…参道と言われればそんな感じがする道が伸びています。


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途中には歴史を感じさせる旅館がありました。


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10分も歩くと外宮に到着。伊勢参りは外宮から内宮へ進むのが順序だそうなので、決まりを守ることにしました。


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伊勢神宮に来てまず気になったのは鳥居の形。なんか変だなぁと感じていたのですが、茨城にある鳥居とはどこか違います。


鳥居の頭にあたる横の木は、笠木と島木と呼ばれるもので構成されているそうです。その下ある横の板というか梁のようなものは「貫」と呼ばれるようです。一般的にはこの「貫」が、鳥居を支える二本の柱からはみ出ているんですが、伊勢神宮の鳥居は「貫」が柱の間に収まっています。これって、伊勢形式の鳥居ということでしょうか。


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さて、こちらは内宮の入口です。最初に目に飛び込んできたのが松の大木でした。この枝振りを見ただけで、ただ者ではないと思わせる存在感のある松です。まるで何かを語りかけてくるような雰囲気。この松を見ただけで半ば満足してしまった自分がいました。


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とりあえず、神宮内を散策しましたけど一番印象に残ったのは入口に聳える松の大木でした。


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厳かな空気が漂い、無色透明の時間が流れている…とでもいいましょうか、特別な空間のように感じてしまいます。


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こちらは正宮(しょうぐう)。ここから先は撮影禁止と書かれていたので、その手前から撮影しました。正宮とは本宮のことらしいです。お寺で言うと本殿ってことなんでしょうか。


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朝が早かったので、伊勢神宮の通りのお土産屋さんはまだ開いていませんでした。


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そんななかで店を開けていたのが、有名な「赤福」の本店でした。


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店のなかや縁側には休憩所があります。縁側で赤福をいただきながらお茶を飲む人の姿が見えます。私たちものんびりと朝のひとときを過ごしたかったのですが、フェリーに乗る都合があったので我慢です。


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伊勢神宮内宮からバスに乗って…ひとまず、五十鈴川駅に向かいます。


次回へつづきます。


(撮影:2012.3.11/伊勢市)

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山越え、谷越え、奈良井宿

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前回からの続き、「そこそこの旅、ぎりぎりの旅」の第三部です。前回は松本城まで報告しました。今回は松本から伊勢までを報告します。



松本城を後にした私たちは、再び駅から電車に乗って次の目的地・奈良井宿へ向かいます(時刻は13:29発)。乗ったのはご覧の電車です。二両編成ですが、新しい車両でした。


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東京から中央本線を利用して松本に来る場合、塩尻から篠ノ井線という路線になります。もしかすると、この車両は篠ノ井線を走る車両なのかもしれません。


松本を発ったこの電車は、塩尻から中央本線に入って木曽福島まで行きます。本当は馬籠あるいは妻籠宿に立ち寄りたかったのですが、この二か所を見るには木曽福島の先にある南木曽駅まで行かねばなりません。電車が木曽福島止まりということもあり、その手前で下車して観光できる奈良井宿に立ち寄ることにしました。


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途中の塩尻までは住宅地や大型の郊外店舗などが車窓から見られましたが、それを過ぎると山間の静かな風景に変わります。線路に沿って走っている道路(国道361)などは、きっと昔の街道だったのだろうと想像がつきます。


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塩尻を過ぎるとほどなくして奈良井駅に到着しました(時刻は14:19着)。駅の改札を出るとすぐに奈良井宿の通りです。中山道の宿場町の一つで、往時の景観が今なお残されていることもあって人気の観光地のようです。


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京と江戸を結んだ中山道には六十九の宿場町があるそうです。江戸の板橋宿から数えると、奈良井宿は三十四番目に当たります。ちょっと前に通過した塩尻から追ってみると、塩尻宿、洗馬宿、本山宿、贄川宿、奈良井宿となります。電車で来る途中で洗馬、贄川などの駅名を目にし、昔の名称がそのまま残っていることがなぜか嬉しく、かなり感動したことを思い出します。


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話は脱線しますが、地方都市などで地名変更などをする際に、歴史的な背景や地理的特徴を表した地名をたやすく改名してしまう例が数多く見受けられます。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、とても残念で仕方ありません。


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さて、奈良井宿の様子です。建物が軒を連ねている距離は、現存する宿場として比較的長い方ではないかと感じました。見るからに古い建物は数軒ありますが、改修して新しくなっているものが多いと思います。細かい点は別にして、景観としては素敵だと思います。


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自らの足で旅をする時代は、たいそうな賑わいだったのだと思います。何と言っても木曽の険しい山のなかにある宿場ですから、旅人がこの街並を見た時の安堵感といったら、今の私たちには想像できないものだったのではないでしょうか。


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奈良井駅を後にして名古屋に向かいます(時刻は15:36発)。途中、中津川で一度乗り換え(17:01)て、名古屋到着となります(18:18着)。


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やってきました、名古屋です。2002年の夏に一度来たことがあるので、約10年ぶりです。当時、名古屋の駅が明るくてきれいだったことを思い出しました。今回もその印象は変わりません。個人的には東京周辺の駅などよりずっと好感が持てます。


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時間があれば駅周辺を散策してみたかったのですが、今回は夕食を食べるだけとなりました。立ち寄ったのがこちら、「グランジャー ミズノ」。名代みそとんかつの看板が目印です。個人的にとても気になったのが“グランジャー”という名称。いったいどういう意味なのでしょう。いまだに気になって仕方ないのですが、謎は解けぬままです。


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頼んだのはこちら、看板になっていた味噌とんかつです。しかも、これは焼きとんかつ。めちゃくちゃうまいというものではありませんでしたが、また食べてみてもいいと思いました。


余談ですが、やけに心に残ったのが皿の上にちょこっと盛られているスパゲティです。作り置きの冷めきったカレー味のスパゲティなのですが、カレー粉とスパイスが利いていて、合間に食べるととんかつの味が実に引き立ちます。店主の粋な演出を感じさせる一品でした。


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名古屋で夕食を済ませたら、あとは伊勢に向かうのみ。19:30の快速みえ23号に乗り込みます。


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この車両はディーゼルエンジンで動く気動車だそうですが、約1時間30分で伊勢に到着となります。今回、中部地方を走る列車をいくつも見ましたが、関東圏を走っている列車よりもデザインがいいような気がしました。


伊勢市駅に到着したのは21:09。予約しておいたビジネスホテルに宿泊となりました。


次回へつづきます。

(撮影:2012.3.10)

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