好きです東北、好きです弘前

弘前城の報告も最終回となりました。


まずはこちらの看板をご覧いただきましょう。

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むむ、仙人のようなおじいちゃんとお孫さんのお二人。おいしそうにラーメンをすすっています(もう、箸の持ち方からしてただ者ではございません)。


これは弘前城の北門周辺に並んでいる露店群のうちの一軒の看板。言うまでもなくラーメン店のものです。早朝だったため店が始まっておらず、食べることができませんでした。残念です、非常に残念です。


個人的に言わせてもらえば、私はこのような看板に非常に弱いです。味がどうのこうのという前に、このような猛烈なアピールには応えなければならないという使命に燃えてしまいます。


「この看板の店で食べた!」という満足感を求めてしまうところなど、ブランド商品のコマーシャルに一撃されてしまう今時の人間のようにも見えます。しかーし、この手のアピールに敏感に反応する人間は、根本的にブランド志向の人たちとは質の違う人間だと思います。


たぶん、この看板を見て店にふらふらと入ってしまう人は少なからずいるのではないでしょうか。


わかります、その気持ち。


何と言うんでしょうか、冷静な判断を度外視して好奇心という特異な欲望に身を任せてしまうタイプ。私はそういう人間です。だから目的もなく、東北をふらふらと走り回ってしまうのかもしれません。


いや、東北ドライブについては「東北が好きだ」ということが根底にあります。なぜだか理由はわかりませんが東北が大好きです。


さらに、個人的な話がつづきます。

今回の仕事で、朝食の弁当を弘前城近くのお店で注文しました。そこの窓口担当の女性がとても素敵な青森弁を話す方だったんです。


ごくありふれた注文のやり取りなのですが、その数十秒の間にとてもとても温かい気持ちになりました。青森弁には呪文のような不思議な力があります。あの独特の抑揚を聞いていると、詩の朗読や子守唄を聞いているように心が落ち着くんです。


もっと話をしたかったのですが、仕事なのでそういうわけにもいかず、後ろ髪を引かれながらも受話器を置かねばなりませんでした。


さて、上記のことは訪問前のやり取り。訪問当日はお弁当を受け取りに行くわけであります。弘前城訪問も楽しみでしたが、それと同じくらい電話の女性とお会いすることが楽しみでした。


ふふふ…


実際にお会いして、生の青森弁を聞いて痺れてしまいました。


「いや〜、なんてやさしい言葉なんだろう」


こんな優しげな言葉で会話したら深刻な争いなど起こらないのではないかと感じました。極端な話ですが、青森県では夫婦喧嘩などないのではないかと思えたほどです(そんなことはないでしょうが)。


今回のお弁当屋さんとのやり取りで、私の東北好感度は今まで以上にアップしました。ちなみに、電話の女性は声からすると20代かと予想していましたが、実際はその2倍近い方でした。年齢の予想は見事に外れましたが、とても素敵な方でした。ひょっとすると青森弁のやさしさというより、その方のあたたかさというか人間性が言葉に現れていたのかもしれません。


桜の弘前城は素晴らしかったですが、お弁当屋さんの女性も桜以上に素敵でした。


さて、弘前城のお話にもどります。

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観光で訪れると、どうしても本丸とその周辺で見物を終えてしまいがちです。前回の報告で城の外周も見て回ることをおすすめしました。今回訪問して思ったのは、北門周辺を歩いている人が非常に少なかった点です。上の写真は北門周辺を写したものですが、ここから見る桜と岩木山もなかなか風情があっていいものです。


もし、次回訪れることがあったら、私はこの北門周辺の風景をもう一度見たいです。それと、味わえなかったラーメンを食べたいものです。


次回の楽しみを残しておくのも旅の上手な楽しみ方かもしれません…


これにて、弘前城からの報告を終わります。


(撮影:2012.4.30/青森県・弘前城)


※追記というか訂正です(5/18)

今回報告した看板のお店は、ラーメン店ではなく食堂です。しかも、弘前ではかなり有名な老舗でした。何気なくネットで検索してみたら、そのことがわかりました。

三忠食堂(さんちゅうしょくどう)は100年の歴史がある店で、小説のモデルになったり、漫画『美味しんぼ』でも紹介されているそうです。ふむふむ、あの看板に描かれたおじいちゃんとお孫さんが食べているのは、どうやらラーメンではなく「津軽そば」のようですね。

じつは、この仕事の数日後に再び青森を訪れ、サービスエリアで津軽そばを食べました。そのそばは、関東で食べるものとは食感がまったく違っていました。

「なんだか不思議なそばだなぁ…」

と思いつつも汁まで飲み干し、食器を洗い場に戻して「ごちそうさまぁ」してきました。

ここで、新たな目標ができました。

もう一度、弘前城の桜を見ること。そして、三忠食堂の津軽そばを食べること。旅の楽しみは増えるばかりです。

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語りかける伊勢の松

前回の更新から一か月以上が過ぎてしまいました。突然、仕事が忙しくなりブログどころではなくなってしまい「しばらく更新はやめよう」と思いました。しかし、シリーズの途中でやめるのはなんとなく気持ち悪いので、とりあえず伊勢の鉄道旅行は完結させることにしました。もちろん、時間の余裕が出てくれば書き足していこうと考えています。


余談続きですが、体におかしな変調をきたしているので報告してみたいと思います。


ここ一か月くらい、平日は4〜5時間くらいしか寝ていません。最初は辛かったのですが、しばらくすると平気になってきました。ただし、朝だけは頭も体も自分のものではないような感覚に襲われます。この無重力状態のなかで数十分を過ごすのが快感にさえなってきました。


最近では0時過ぎぐらいに帰っても、「おっ、今日は早いなぁ」と思えるようになったくらいです。もう、これは狂っているとしか言いようがないですね。


自分だけが辛いわけではなく、世の中には同様の状況に置かれている人たちがいっぱいいると思います。そこで考えてみました。まず、そんな状態が長く続くと家族とのコミュニケーションがなくなります。こうなると父親の存在は「金を家に持ってくる」ということでしか証明できなくなるような気がします。これって家族崩壊じゃないでしょうか。もっと広い視野で捉えれば「国家崩壊」だと思います。言い過ぎでしょうかねぇ?


日本経済がどうのこうの、年金制度が破綻しているだの、そんなこと以前に重大な危機が我が国を襲い、蝕んでいるような気がしてならないです。


「豊かさと引き換えに私たちは大切なものを失ってきた」な〜んてことは、事あるごとに聞かされてきました。それは現代社会への警鐘のような決め台詞でもあったはずです。


しかし、もっと深刻な問題がありました。それは、失っていることにさえ気づかないことです。いや、気づいている人は実は多いような気もします。多くの人は、豊かさを手にするには多少の犠牲は必要と割り切っているのかもしれません。


つまりは、割り切らざるを得ないのが問題なのかもしれません。もう私たちは豊かな暮らしという妄想から逃れられなくなっているのかもしれませんよ〜


この「逃れ難き妄想」の件は、昨年の東日本大震災のしばらくあとに強く感じました。じつはあの出来事をきっかけに、多くの人の価値観が大きく転換するだろうと予想しました。しかし、社会は「元通りの生活」を求めて必死に努力しはじめました。今ではなんとか元通りに近い状態まで復元できた感じでしょうか。結果としては、目に消える形で価値観の転換は起こらなかったみたいです。


食料、エネルギー、物流、金融、経済…それは止められない歯車。止まってしまったら一気に分解してしまう社会構造が、いつの間にか出来上がってしまったのかもしれません。


さて、こんなことを書き続けていると睡眠不足で頭がおかしくなったと思われるかもしれません。ひょっとするとその通りかもしれませんが、伊勢の話題に戻りたいと思います。


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3月11日。伊勢の朝はとても爽やかでした。宿泊したビジネスホテル「タウンホテルいせ」から見た伊勢市駅。


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参道の方から伊勢市駅を見ると…
改装工事中でした。


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振り返って、伊勢神宮外宮方面にカメラを向けると…参道と言われればそんな感じがする道が伸びています。


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途中には歴史を感じさせる旅館がありました。


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10分も歩くと外宮に到着。伊勢参りは外宮から内宮へ進むのが順序だそうなので、決まりを守ることにしました。


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伊勢神宮に来てまず気になったのは鳥居の形。なんか変だなぁと感じていたのですが、茨城にある鳥居とはどこか違います。


鳥居の頭にあたる横の木は、笠木と島木と呼ばれるもので構成されているそうです。その下ある横の板というか梁のようなものは「貫」と呼ばれるようです。一般的にはこの「貫」が、鳥居を支える二本の柱からはみ出ているんですが、伊勢神宮の鳥居は「貫」が柱の間に収まっています。これって、伊勢形式の鳥居ということでしょうか。


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さて、こちらは内宮の入口です。最初に目に飛び込んできたのが松の大木でした。この枝振りを見ただけで、ただ者ではないと思わせる存在感のある松です。まるで何かを語りかけてくるような雰囲気。この松を見ただけで半ば満足してしまった自分がいました。


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とりあえず、神宮内を散策しましたけど一番印象に残ったのは入口に聳える松の大木でした。


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厳かな空気が漂い、無色透明の時間が流れている…とでもいいましょうか、特別な空間のように感じてしまいます。


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こちらは正宮(しょうぐう)。ここから先は撮影禁止と書かれていたので、その手前から撮影しました。正宮とは本宮のことらしいです。お寺で言うと本殿ってことなんでしょうか。


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朝が早かったので、伊勢神宮の通りのお土産屋さんはまだ開いていませんでした。


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そんななかで店を開けていたのが、有名な「赤福」の本店でした。


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店のなかや縁側には休憩所があります。縁側で赤福をいただきながらお茶を飲む人の姿が見えます。私たちものんびりと朝のひとときを過ごしたかったのですが、フェリーに乗る都合があったので我慢です。


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伊勢神宮内宮からバスに乗って…ひとまず、五十鈴川駅に向かいます。


次回へつづきます。


(撮影:2012.3.11/伊勢市)

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雪山は巨大な“貯水地”

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先月はクロスカントリーだけでなく、スノーシューでの山歩きもしてきました。


出かけたのは裏磐梯。有名なスキー場、グランデコの少し下に不動滝という名所があります。その滝を見に行ったわけです。


いわゆるスノーシューと呼ばれる西洋橇(かんじき)を履いて歩くのですが、これがじつに愉快な履物なんです。実物はアルミニウムの外枠に樹脂製の底板を組み合わせた単純なもの。簡単に脱着できるようにバンド式になっています。


何が愉快かと言うと…


わずか10センチほどの幅が増えただけで、靴で歩いたらまず這い上がれないだろうと思われる雪の上を沈むことなく忍者のように歩けるんです。その姿はまるで雪上のミズスマシのようです。でも、ミズスマシにしては動きが鈍いかもしれません。


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さて、こちらが凍った不動滝。完全結氷とはいきませんが、ブルーに光る氷がなんとも神秘的です。晴れていればもっと鮮やかなブルーに見えるんでしょうが、残念ながらこの日は雪でした。


毎度のことですが、冬山を歩いているといつも感動してしまうことがあります。それは降り積もった雪の量。


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“雪”と言ってしまうとなんだかロマンチックに聞こえますが、化学的に言うと形態を変えた“水”であります。この雪の量を水に換算したら、どれほどの水量になるのでしょうか?


山に降った雪は、春が来たからと言って一瞬にして融けて消えるわけではありません。冷たい雪融け水を麓におろしながらゆっくりと融けていくのだと思います。標高が高い山になればなるほど、融解の速度は緩やかで、雪融け水を供給する期間も長くなるのでしょう。


そんなことを想像していると、山が巨大な“貯水地”に見えて仕方がないのです。発電こそしませんが、それは自然が作り上げる巨大なダムだと思います(常識的に「ちょすいち」というと池という漢字があてられますが、雪山を見ていると “地”という漢字の方がしっくりします)。


変な妄想ですが、雪山を歩くと白いダム湖をいつも連想してしまう私なのです。

(撮影:2012.1.27/北塩原村)

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なんでブログが更新されないんだろう?

*お知らせがあります。

ココログの広告表示が今年の初めに仕様変更をしました。それ以来、私のパソコンでココログが表示されなくなりました。

正確に言うと、ブログがすべて表示される前にブラウザーが強制終了されてしまいます。自分はapple社のパソコンを使っており、サファリというブラウザーを常用しています。

たぶん、サファリのバージョンが低いためにココログの広告表示方法に対応できずに終了してしまうのだと思います。

ブログを更新するためにはログインしなければならないのですが、上記のような症状でままならない状況です。

ココログがダメなら、ほかのブログサービスを使えばいいわけなんですが…。じつは、すでにいくつかのブログサービスを使いました。ところが使いにくかったり、表示方法などが好みでなかったりと、いろいろありまして長続きしそうにないと感じました。

というわけで、更新はほんのときどきになるかもしれませんが、ココログで続けていこうと思います。自分で書いたブログを確認できないという歯痒さはあるのですが、いつか新しいパソコンを買うときまでなんとか我慢してやっていこうと思います。

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江戸のウッドデッキに雨を見る

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雨の日は嫌いじゃない。

風景が違って見えるから。

町をきれいにしてくれるから。

雨の日と晴れの日と曇りの日と

きっと同じくらいあるのだろうけど、

雨をじっくり見る日は少ない。

濡れるのが嫌だから?

冷たいのが嫌だから?

薄暗いのが嫌だから?

だったら二階の窓から見るといい。

雨に塗られて様変わりした

別の景色が見えるから。



「雨の日の小布施もいいものだ」


そう思わせてくれたのが、高井鴻山記念館の二階から見た景色。向こうには山が迫り、近所の濡れた瓦が鈍く光っている。庭を歩く人の踏みつける砂礫が、晴れた日とは違うしっとりとした音を響かせている。

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江戸時代末期に建築されたという屋敷には、二階部分に縁側のような廊下がある。張り出た庇が、いかにも日本古来の家の造りを感じさせる。解釈が間違っているかもしれないが、まるで屋根付きのウッドデッキにいるような雰囲気がある。江戸時代のウッドデッキと思えば、なんとも粋な造りだ。こんな場所から景色を愛でるのは、なんと贅沢なことだろう。


雨上がりの小布施を歩くのもまた格別な趣がある。

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晴れの日ばかりの旅じゃつまらない。雨に濡れた別の顔を見られたことに感謝するべきなのかもしれない。


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高井鴻山は幕末から明治にかけて活躍した小布施の豪商だそうで、幕末の志士や文人墨客と幅広い交友関係があったということだ。そのなかでもとりわけ有名なのが葛飾北斎との関わりだろう。北斎と小布施の関係は広く知られているが、その元を質せば高井鴻山が北斎を招いたことに行き着く。小布施に行ったら北斎館を観るのはもちろん、高井鴻山記念館にも足を運ばなければなるまい。鴻山が描いた妖怪画もじっくりと味わいたいものだ。


(撮影:2011.4.30/ゴールデンウィークに訪問した小布施の回想…その2)


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鳳凰が飛び立つ町

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葛飾北斎が晩年の一時期を過ごした信州小布施。この町には八方睨み鳳凰図がある。それは岩松院というお寺の本堂の天井に描かれている。なんと二十一畳もの大きさの迫力ある大作だ。


鳳凰と言えば空想上の生きもの。この世には実在しない霊獣である。数々の物語に登場するほか、お寺などの彫刻に施されて馴染み深い存在でもある。しかし、どこか現実離れをした色彩と姿に、ちょっと距離を置いて見てしまうものだ。


ところが、岩松院の鳳凰はちょっと違う。生々しく迫力があり過ぎて、実際に生きているものを描き写したかのように思えてしまう。そのせいか、空想上の生きものよりもっと身近に感じられる。


自分にとって、鳳凰と言えば小布施の天井画が真っ先に思い浮かんでしまう。睨みつけるその鋭い眼光は、よく見るとどこか無機的で“虚空”を感じさせる。怒りや畏れ、猜疑心といった色はどこにもない。鳳凰の目は、晩年の北斎の目のようにも感じられる。


八十の齢を越えて筆を執る精神力。当時の八十と言えば人並みはずれた経験を積んだ長老とも言える存在であろう。そんな北斎が、当時の世の中を静かな心で覗いているような気がしてならないのである。



今年のゴールデンウィークに訪れた小布施。信州北部、いわゆる北信の観光地として有数の集客力を誇る町である。多くの人たちが憧れや羨望をもって訪れるのであろうが、自分はそんな気持ちで足を運んだわけではない。単に、友人の住む町だから遊びに来ただけ。


家族や恋人同士が連れ立って歩いている町のなかを自分は違う感覚で歩いていたと思う。観光客の目ではなく、単なる遊び客としてゆったりと眺めてきた小布施の印象を気が向いたときに綴ってみたいと考えている。


思いついたら書くし、気乗りしなかったら書かない。それもまた小布施的であると解釈している。

冒頭の写真は岩松院の仁王門。五月の朔日にまだ桜が咲いていて、鳳凰の羽ばたきが花びらを舞い上げているように感じられた。

(2011.5.1/長野県小布施町)

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世界一長い臨床試験

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新しい薬が開発されると、まず行われるのが動物実験。病気の動物に対する有効性や安全性が確認できたら、次に病気を患っている人に投与し、人間に対する治癒率や副作用を検証しているような気がします。


(以上のことは想像なので実際は違っているかもしれません)


この一連の検証作業を「臨床試験」と言うのだろうと思います。ところで、新薬の臨床試験の期間はどれくらいなのでしょう?


おそらく、長くても数年ではなかろうかと想像します。何十年も何百年も臨床試験を繰り返している薬など聞いたことがありません。この「臨床試験」という言葉を聞くと、いつも思い出してしまうものがあります。


それは、きのこ。


薬ではありませんが、きのこは何百年も前から人間自らが臨床試験を繰り返し、その結果を代々伝えてきたのだと思います。改めて考えると、これってすごいことではないでしょうか。


「このきのこは食べられる」「このきのこは毒がある」


言葉にするのは簡単ですが、その根拠を実際に食べて検証してきたのだから驚きというほかありません。昔の人は意外にもチャレンジャーだったのでしょうか。それとも、あまりにも食べるものがなかったのでしょうか。


この貴重な知的財産ですが、残念なのはすべての人に伝えられていないことです。特定の人、たとえば「きのこ好き」や「食料として必要としている人」「独特の味に魅せられた人」にしか貴重な実験結果が伝わっていません。とてももったいないことです。食文化が継承されず途絶えてしまうような気がします。


「きのこなんか食べなくたって生きていけるよ!」と言われればそれまで。食べ物があまりにも豊富なことが、きのこにとっては強い逆風になっているようです。


今でこそきのこの見分け方や食の可否、新知見や毒の分析結果などが一冊の本にまとめられていたりします。これで何百年にも及ぶきのこの臨床試験の結果が次代に伝わることでしょう。ちょっとほっとしています。



写真はキシメジ科のホシアンズタケです。透明感のあるピンク色がとても印象的なきのこです。傘の表面には網目状のしわがあります。図鑑には「果実のような芳香を放つ」とあります。食べられるきのこですが苦みがあるようです。


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ダンスが好きになる呪文/Kiss Me Kiss Me Kiss Me

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私はダンスが嫌いでした。

踊るのも、見るのも。ついでに演劇も。

ミュージカルは何がおもしろいのかさっぱりわかりません。

なぜ、劇の途中に突然大声で歌いだすのか不思議でした。

大袈裟な身振り、必要以上に大声の台詞、

舞台をあちこち動き回る落ち着きのなさ

どれも気にさわるものばかりです。


「きっと、自分にはダンスやミュージカルを理解する感覚がないのだ」と諦めていました。


そんな自分を変えてくれたのが、The Cure(ザ・キュアー)というロックバンドです。彼らの作品に『Kiss Me Kiss Me Kiss Me』(キス・ミー、キス・ミー、キス・ミー)というアルバムがあります。このアルバムのなかに『Why Can’t I Be You?』という曲が入っています。この曲のプロモーションビデオを見て考え方が一変しました。

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ビデオでは、着ぐるみを身につけたり、顔に色を塗ったり、50年代のアメリカのファッションをした人たちが適当に踊っています。身振りはみんなバラバラで、とてもとても真面目に作ったとは思えない出来映え。でも、それがすごく楽しそうなのです。


少なくとも私にとって、生まれて初めて「ダンスって楽しいものなのかもしれない」と感じさせてくれた作品です。とにかく、何度も見たくなる不思議なビデオクリップです。きっと、曲も踊りに合ったアップテンポのリズムだったことも影響しているかもしれません。


冒頭で踊りや演劇が嫌いだと書きましたが、一部には好きなものがあります。それが保育園・幼稚園児の踊りや演劇です。彼ら彼女らには、うまく見せようとか感動させようという下心が一切ありません。踊るだけ、台詞を間違えないようにするだけで精一杯。でも、一生懸命に踊ったりしゃべったりする姿が感動を与えてくれるのです。


介護施設などでお年寄りのために歌や踊りを披露する園児たちの話を聞きます。そんな園児たちのサービスはお年寄りたちにとても好評だそうです。


お年寄りが喜ぶ気持ちがなんとなくわかります。たぶん、たぶんですが…お年寄りたちをプロのミュージカルや演劇に連れて行っても喜ばないと思います。かえって小さな子どもたちの拙い演技の方が心に響くのではないでしょうか。


今回のどうでもいい話は、ダンスや演劇が嫌いな私に響いたのがザ・キュアーの『Why Can’t I Be You?』のプロモーションビデオだったという話でした。


『Kiss Me Kiss Me Kiss Me』というアルバムは自分にとって思い出深いものとなりました。このあと『Disintegration』というアルバムも購入しましたが、こちらはこちらで趣の違うシリアスな音が凝縮されていて感動しました。

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ばあちゃん、あの時間どこいっちゃったんでせうね

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じいちゃんの家には土間があった。

ばあちゃんは竃でご飯を炊いていた。

みんなが使う厠には新聞紙が置いてあった。

モンペを履いたばあちゃんが

竹籠を背負って歩いているのを見た記憶がある。

じいちゃんは倉の二階で蚕を飼っていた。

私は大人たちの目を盗んで、ときどき二階に上がった。

四角い小さな仕切りの中で、蚕が繭を作っていた。

いくつかの繭から白い蛾が抜け出して、

ぶるぶると羽ばたきをしていた。

でも、彼らは決して飛ばない。

うさぎのように赤い目をした

飛べない蛾の顔を

私はじっと見つめた。



昭和40年代の話です。よく泊まりにいった母の実家の思い出です。


家の片隅には薪やら細い枝がたくさん積み上げられていました。風呂を沸かしたり、竃(かまど)の火を起こしたりするのに使っていたような記憶があります。その竃の鉄製の通風口に「イソライトカマド」と刻印されていたのを今でも鮮明に覚えています。


ものすごい原始的な生活をしていたような印象を与えてしまいますが、テレビや自家用車はありましたし、じいちゃんは元気にスーパーカブを乗り回して近所で油を売っていました(本物の油売りではなく、おしゃべりをしに出かけていた)。じつは、ガス台もちゃんとあったのですが、なぜかばあちゃんは竃をよく使っていました。ちなみにお風呂は、私が幼少の頃は五右衛門風呂でした。


洗濯機(脱水機はない)もありましたが、なぜか屋外の蛇口近くには大きな盥(たらい)と大小の洗濯板が置いてあります。四角い固形石鹸を洗い物にこすりつけて、ばあちゃんがごしごしやっていた姿を今でも思い出します。


以上のような、半原始的あるいは半近代的な生活をしていた時代に生を受けて現在に至っているわけです。そんな私は、しばらく前からあることを思ってます。

ばあちゃん、あの時間どうしたんでせうね?

ええ、昔たいへんな思いをして

家事をしていたあの時間ですよ


ばあちゃんの時代に比べて、現代は格段に進歩しています。洗濯機は全自動、おまけに乾燥機まであります。食器を洗う機械まで登場しましたし、強力な掃除機だってあります。


家事に費やされる時間は、昔と今では大幅に違いがあるはず。短縮されて余るはずの時間はいったいどこに行ってしまったのでしょう? 



大正時代の有名な詩人、西條八十。彼の詩に『帽子』という作品があります。森村誠一の小説『人間の証明』で一躍脚光を浴びた詩です。


その詩の一節を思いだすと、上記のようなことを考えてしまう自分。詩が訴えかけてくることとはまったく関係ありませんが、どうしても「帽子」と「時間」が重なってしまうのです。


やっぱりこれも妄想でしょうね

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『帽子』


母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。


母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。


母さん、あのとき、向ふから若い薬売が来ましたつけね、

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずゐぶん骨折つてくれましたつけね。

けれど、とうとう駄目だつた、

なにしろ深い谿で、それに草が

背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。


母さん、ほんとうにあの帽子どうなつたでせう?

そのとき傍らに咲いてゐた車百合の花は

もうとうに枯れちやつたでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。


母さん、そして、きっと今頃は、

今夜あたりは、

あの谿間に、静かに雪がつもつてゐるでせう、

昔、つやつや光つた、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y・Sという頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。

(2枚の写真は、角川文庫の西條八十詩集と巻頭のカラーページに掲載された『帽子』の一部分です)

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羊飼いの少年と余震/狼が来なければいいな

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3月11日の大地震以降、ずっと余震が続いています。遠くの方からドドドドッと来るもの、いきなりガタガタッと真下の方から起こるもの、なかには音もなく静かに地面を揺らし続ける不気味なものがあります。


あまりにも多発するので、ちょっとやそっとでは慌てないようになりました。ただし、たまに起こる大きな揺れにドキッとすることもあります。


余震が起こるたびに思い出すのは、イソップ童話の「羊飼いと少年」の話。


「狼が来たぞー」と何度も大人たちを驚かせてはおもしろがっていた羊飼いの少年のあの話です。最後には、本当の狼がやってきたときに大人たちが助けに来てくれず、少年が食べられてしまうという結末の寓話だったように記憶しています。


この寓話は「嘘はいけない」という訓話的なお話なのでしょうが、衝撃的な情報でさえ繰り返し流されると習慣化して麻痺してしまうということも示唆しているような気がします。


余震に関しては寓話のような慣れのような状態に陥っていますが、今回の地震では放射能の飛散という深刻な問題が別にあります。地震のようにいつどこで起こるかわからないという不確定な災害ではなく、放射能の問題は今起こっている事であり、将来背負わなければならない「負の未来」にもなりかねないので、すべての人に緊張と不安を持続させているのだと思います。


幸い茨城県南部は致命的な被災状況ではないので、二週間余りを経過した今、客観的に今回の地震を振り返る事ができます。しかし、一方では深刻な被害を受けた茨城県沿岸部や東北地方の人たちは、住む場所や水や電気、食料に不自由した生活を強いられているわけです。そのことは忘れないようにと常々胆に命じています。しかし、社会生活が元の状態に戻って来たこともあり緊張感が薄らいできているのも事実です。


そんななか、余震が起こるたびに本物の狼(地震)が来なければいいなぁと思っています。



写真は庭の一角にはびこっているゼニゴケ坊や。今年も胞子(正確には精子)をまき散らす新しい器官が成長し始めました。庭いじりを愛する人たちには嫌われ者のゼニゴケですが、私はそれほど嫌いではありません。


このコケ、一度はびこると除去はそうとう困難です。本体を引きはがして捨てても、またどこからとなく生えてきます。除去するには土をまるごと入れ替えるか、生えている場所の環境を一変させるかのどちらかしかないでしょう。環境を変えるというと、直射日光が当たるようにするとか、乾燥状態にするとか、大がかりな作業になります。


(無理な事とは存じますが、いっそのことゼニゴケを好きになるほうが手っ取り早いかもしれません)

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