胸いっぱい吸い込んで!/放射能はダメでも化学物質はいいんだぁ?

110406


ほとんどテレビは見ませんでしたが、この頃は少し見るようになりました。相変わらずコマーシャルは興味深いです。



芳香剤のCMは、何年か前から急激に増えてきたように感じていました。先日見たのは、据え置き型に加えてスプレー型の芳香剤をまき散らしているCMです。「ダブルで匂う」みたいなキャッチフレーズで迫ってきました。だめ押しは「○○ちゃんのお部屋はいい匂い」ってな言葉を発してうっとりしている男性の姿。しかもあんなに吸い込んで…


大丈夫なんだろうか? ほんとうに。


決めつけはよくありませんが、匂いの元は化学物質だと思います。CMのなかでは、その化学成分を一度たりとも“無害です”とは言っていません。繰り返します。大丈夫なんだろうか、ほんとうに。

良い香りで満たされることが「良いこと」「幸せなこと」「心地よいこと」というイメージに直結していませんか。ひょっとすると、人間の潜在意識の中に「いい匂い=いいもの」という方程式ができあがっているのではないかと疑ってしまいます。



匂いに関して言えば、肉体は化学物質の“翻訳機”みたいなものだと思っています。ずいぶん乱暴なたとえですが、そんなものではないでしょうか。


嗅覚細胞にふれた化学物質に応じて、特定の脳内物質が分泌されて信号が伝わっているのでしょう。分泌された脳内物質の種類や量で、いい匂いと悪い匂いが区別されるのだと思います。


ものによってはまったく匂いがしないものがありますが、それは嗅覚細胞にその物質を感知する受容体がないだけなのかも。ということは、匂いとして感じる物質は驚くほど多いわけではないのかもしれません。


もっと妄想を働かせると…
分子構造の一部が特定の形になっていれば匂いとして感じるのではないかと思われます。人間の感覚器官は割といい加減なもので、似たような構造をしているものを感知すると、同じ匂いとして認識することでしょう。


肉体に“誤訳”を起こさせるものが化学物質だと言ったら怒られるでしょうか。現代の生活のなかで、私たちはどれほどの誤訳を繰り返しているのでしょう。さらに誤訳は匂いだけにはとどまりません。味についても巧妙に仕組まれた誤訳物質の罠にはまって「おいしい」とか「もっと食べたい」とか言わされているのだと妄想します。


こんなことを言うと化学物質大反対の急先鋒のように思われてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。カップラーメンは大好きですし、化学調味料たっぷりのスナック菓子は大のお友達です。シュワシュワする飲み物だってよく飲んでいます。


じつは、消臭・芳香剤だって使わせてもらっているんですよ〜


昨年のことです。スーツがなんとなく汗臭くなったので、衣類にスプレーする消臭剤みたいなものを試しました(そのスプレーは消臭剤なのに芳香剤が入っています)。
スプレーした瞬間にとてもいい匂いがしたので、さぞかし翌朝は爽やかな気分で出かけられるのだろうと、ちょっと嬉しくなりました。ところが…


朝、スーツに袖を通すと、いい匂いのような変な匂いのような微妙な香りが鼻をくすぐります。汗と芳香剤、それに煙草のヤニの匂いがブレンドされたスペシャルな香りが誕生していたのです。


消臭芳香剤も効かないほど強力な「おやじフェロモン」を発散しているのかと、自分に幻滅しながら会社に出かけたといういや〜な思い出です。


話は変わりますが、芳香剤などの裏書きに「天然由来成分配合」などと書いてあります。これって自然のものから抽出したという印象を与えますけど、ほんとうは違うんでしょうね。確かにその成分は天然物がもっているものと同じものなのかもしれませんが、化学合成しているのだろうと思います。


「天然由来成分」。この一文って効きます。なぜか自然のものというと安心感を与えます。少なくとも体に悪くないものだと思い込んでしまいますから。でも、よ〜く考えれば天然・自然のものでも毒物はあります。だけどそんなことは思い浮かべませんよね、普通。


天然由来成分。いや〜、強烈なキャッチフレーズです。水戸黄門の印籠にも匹敵するのではないでしょうか。



今日の写真は匂いに関連してカメムシ君。一説によると青リンゴの匂いがするとされるオオクモヘリカメムシです。


このブログの記事のカテゴリーに「カメムシTRY!」という項目があります。これは見つけたカメムシの臭いをかいでみたレポートです。つまり、私はよくカメムシの臭いをかいでいるということになります。


ほとんどの人がカメムシと聞くと顔をしかめます。図らずも強烈な臭さの象徴にもなっている悲しい昆虫です。


みなさん、それは先入観ですって!


そう言っても信じてもらえるはずもないでしょうが、臭いをかぎ続けているとあの臭さの中に“いい匂い”がブレンドされているのを感じるときがあります。そうなんです、カメムシの臭いにはさまざまな匂いが混じっているのです。


“匂い”は調合を間違えると“臭い”になります。


これは私が身をもって体験した事実です。言い換えれば“臭い”のなかに“匂い”がある、こともあるということでしょうか。


世界的に有名な某ブランドの香水にはカメムシ臭の成分が含まれているといいますから…


騙されたと思って写真のオオクモヘリカメムシの臭いをかいでみてください。ほんの一瞬、高級ブランドのパフュームの香りを楽しめます。
(ただし、匂いの感受性には個人差がありますので保証は致しかねます)

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ばあちゃん、あの時間どこいっちゃったんでせうね

1103311

じいちゃんの家には土間があった。

ばあちゃんは竃でご飯を炊いていた。

みんなが使う厠には新聞紙が置いてあった。

モンペを履いたばあちゃんが

竹籠を背負って歩いているのを見た記憶がある。

じいちゃんは倉の二階で蚕を飼っていた。

私は大人たちの目を盗んで、ときどき二階に上がった。

四角い小さな仕切りの中で、蚕が繭を作っていた。

いくつかの繭から白い蛾が抜け出して、

ぶるぶると羽ばたきをしていた。

でも、彼らは決して飛ばない。

うさぎのように赤い目をした

飛べない蛾の顔を

私はじっと見つめた。



昭和40年代の話です。よく泊まりにいった母の実家の思い出です。


家の片隅には薪やら細い枝がたくさん積み上げられていました。風呂を沸かしたり、竃(かまど)の火を起こしたりするのに使っていたような記憶があります。その竃の鉄製の通風口に「イソライトカマド」と刻印されていたのを今でも鮮明に覚えています。


ものすごい原始的な生活をしていたような印象を与えてしまいますが、テレビや自家用車はありましたし、じいちゃんは元気にスーパーカブを乗り回して近所で油を売っていました(本物の油売りではなく、おしゃべりをしに出かけていた)。じつは、ガス台もちゃんとあったのですが、なぜかばあちゃんは竃をよく使っていました。ちなみにお風呂は、私が幼少の頃は五右衛門風呂でした。


洗濯機(脱水機はない)もありましたが、なぜか屋外の蛇口近くには大きな盥(たらい)と大小の洗濯板が置いてあります。四角い固形石鹸を洗い物にこすりつけて、ばあちゃんがごしごしやっていた姿を今でも思い出します。


以上のような、半原始的あるいは半近代的な生活をしていた時代に生を受けて現在に至っているわけです。そんな私は、しばらく前からあることを思ってます。

ばあちゃん、あの時間どうしたんでせうね?

ええ、昔たいへんな思いをして

家事をしていたあの時間ですよ


ばあちゃんの時代に比べて、現代は格段に進歩しています。洗濯機は全自動、おまけに乾燥機まであります。食器を洗う機械まで登場しましたし、強力な掃除機だってあります。


家事に費やされる時間は、昔と今では大幅に違いがあるはず。短縮されて余るはずの時間はいったいどこに行ってしまったのでしょう? 



大正時代の有名な詩人、西條八十。彼の詩に『帽子』という作品があります。森村誠一の小説『人間の証明』で一躍脚光を浴びた詩です。


その詩の一節を思いだすと、上記のようなことを考えてしまう自分。詩が訴えかけてくることとはまったく関係ありませんが、どうしても「帽子」と「時間」が重なってしまうのです。


やっぱりこれも妄想でしょうね

1103312


『帽子』


母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。


母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。


母さん、あのとき、向ふから若い薬売が来ましたつけね、

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずゐぶん骨折つてくれましたつけね。

けれど、とうとう駄目だつた、

なにしろ深い谿で、それに草が

背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。


母さん、ほんとうにあの帽子どうなつたでせう?

そのとき傍らに咲いてゐた車百合の花は

もうとうに枯れちやつたでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。


母さん、そして、きっと今頃は、

今夜あたりは、

あの谿間に、静かに雪がつもつてゐるでせう、

昔、つやつや光つた、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y・Sという頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。

(2枚の写真は、角川文庫の西條八十詩集と巻頭のカラーページに掲載された『帽子』の一部分です)

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日本語第六の母音、ふろぼいん

(以下に記される内容は、かなりばかばかしいものです。妄想めいた話ですので軽く読み飛ばしてください)


110330

日本語には「あ・い・う・え・お」という五つの母音があります。ところが、これに当てはまらない不思議な母音を聞ける場所があります。


それは…お風呂。


私は仕事柄、関東一円に出かけて各地で風呂に入ります。それは大浴場と呼ばれる大きな風呂ですから、いろんな人たちと一緒です。男風呂なので老若男女とはいきませんけど、老若さまざまな人たちとひとときを過ごします。


私が湯船につかっていると、必ず何人かが後から入ってきます。


“チャポッ”


ゆっくりと屈みながら、胸のあたりまでお湯につかると…


多くの人が「あ」に濁音を付けたような、「う」を絞り出すような、とても妙な声を発します。嗚咽でもないし、感嘆でもないし、唸りでもないし…歓喜の声でもありません。


子音がつかないので言葉にはなっていませんが、その一音で「気持ちいい」と表現する音のようです。ある時には「ああ、極楽極楽」というように聞こえることがあります。


とても興味深かったので、「あ」と「う」の割合をなんとなく調べてみました。


どちらかというと「あ」の方が多いような気がします。でも、よ〜く耳を澄ますと、「あ」と「う」の中間の言葉に濁音のようなものが混じった複雑な音であることに気づきます。いろんな場所で聞き比べましたが、「い」「え」に近い音はほとんどありませんでしたね(ごくたまに、お〜 と言う人がいました)


この言葉を発せられるようになるには生後約30年はかかるようです。ちなみに20代でマスターしている人はいませんでした。似たような声を出す人はいましたけど、まだまだ本物ではありません。早くて35歳、40代になるとほとんどの人が発声法を会得しているように思えました。


女風呂には入っていないのでわかりませんが、たぶんこの不思議な母音を発声できる女性は皆無なのではないでしょうか。


これはきっと、中年以上の男だけが発することのできる秘密の音、第六の母音なのだと思います。もちろん、私も発声できます。これからも日々、自宅の風呂で発声法に磨きをかけていく所存です(あ〜 う〜)。


ところで、日本に住む西洋人…英語やフランス語、ドイツ語などを話す外国人のなかにこの音を発せられる人はいるのでしょうか? (これをマスターできれば本物と言ってよいのではないでしょうか)

さて、写真はタマキクラゲというきのこです。ぷるぷるぷるりんとしたかわいいヤツです。降雨後の雑木林に行くとあちこちで見ることができます。このきのこは落ちた枝に生えていることが多いです。枯れ枝をいち早く分解してくれるなかなかの優れものと言えるでしょう。


ここ数日まめにブログを更新しています。3月11日の大地震以来ほとんど仕事がなくなりました。帰宅時間が今までのように深夜に及ぶこともないので、ブログを書く余裕があるというわけです。


このタマキクラゲは去る3月22日に撮影しました。この日は自宅待機を命ぜられており、あまりにも暇だったので雑木林にきのこを探しにいきました。放射能の雨が降るなか傘もささずにのこのこと…


さすがにまだきのこの発生時期ではないようで、タマキクラゲくらいしか生えていませんでした。話は変わりますが、きのこは割と放射能を濃縮しやすいようです。今年はいろいろなきのこを食べてみようかなぁなんて思っていたのですが、それにはちょっと勇気が必要なようです。

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持ってけ! ドロボー

(今回は「妄想」のカテゴリーに分類されるお話です。あまり本気になって読まないでくださいね!)


110326
コンビニエンスストアや駅の構内には、さまざまなパンフレット・小冊子が棚に並んでいます。それらの表紙によく見かけるのが「TAKE FREE」という文字。タケフレー、じゃなくてテイク・フリー。


この英語を見ると、いつも思い出してしまう日本語があります。それが…


持ってけ! 泥棒


品のない私だからこの言葉を連想するのであって、普通の人なら「どうぞ、ご自由にお持ち下さい」という言葉を思い浮かべるに違いありません。


そこで、改めて「持ってけ、泥棒」という言葉の意味を探ってみました。なかば自棄糞(やけくそ)な言動の一種とも受け取れるこの威勢のいい言葉には、実はふか〜い意味があるように思えてなりません。まずは、他の言葉に置き換えるとしたらどんなものがあるのか考えてみました。


「損を覚悟の、大盤振る舞いだぁ」
「もういいよ、好きにしな」
「気に入った、これ上げるよ」
「ツイてるね、あんた。特別だよ」
「自由に持っていっていいよ、その代わり…」
もっと時間をかければ、ほかにもいろいろな言葉が浮かんできそうです。


そうなんです、場面によって言葉の意味やニュアンスが変わってきます。表現上は相手に投げかけている言葉でありながら、結果としては自分自身を納得させる手段として発している場面もあるでしょう。スケールは小さいですが悟りの一種とも解釈できます。「呪文」いや悟りに達するための「お経」とでも言いましょうか…


いやいや、本気で商売をしている人ならそんな清廉な心から言ったりはしないかも。きっと、計算ずくめ、心理作戦の布石として地雷のようにその場に置くのでしょう。究極の駆け引き道具の一種かもしれません。



また一方では、自分の勝手な想像ですが…
この言葉には“江戸っ子”の気質が表れているよう気がするのです。たとえば私の脳裏に浮かんだのは以下のような情景。


長い商談をしているうちに面倒くさくなって損得勘定を投げ出してしまった。
商談をしているうちに身の上話を聞いてしまい思わず同情してしまった。
軽快な話のやり取りに、ついつい気分が良くなってしまった。
話をしているうちに相手の事が気に入ってしまった。

その結果、「持ってけ! 泥棒」


江戸っ子と言うと直情的な人間という先入観が私にはありますので、以上のようなことを想像してしまうわけです。


ところでどうなんでしょう? 関西でも「持ってけ、泥棒」という言葉は通じるのでしょうか(意識の中にあるのでしょうか)。


もっとも今の世の中、関東いや茨城でさえ日常使ったりはしません。気心の知れた人に対して、冗談まじりに言ったりするくらいです。


さて、もっと視野を広げて…世界の中には「持ってけ、泥棒」的な言葉はあるのでしょうか? 私のいい加減な推察として、イタリア、タイあたりにはありそうな気がしているのですが…


この言葉が持つ独特の感覚は、もしかすると日本人にしか理解できないものなのかもしれない。な〜んて思ったりもします。



今日たまたま部屋の片隅にあった懐かしいパンフレットを目にし、ブログのネタにしました。


これは、とある門前町の参道にあるお店を紹介したマップ付きガイドです。私ともう一人(カメラマンじゃなくてカメラウーマン)ですべての写真を撮り、解説文を書きました。


いや〜、なつかしいなぁ。


(今、自分は違う業界に転職しています)


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タイヤは回るよ、粉を出して/飛散する高分子の粉塵

110306
先日タイヤ交換をしました。いや〜、快適ですな。車内に伝わる振動音が小さくなったし、コーナーを曲がるのもスムースだし、何よりもブレーキがよく利くようになりました。もう、いいことづくめで満足、満足。

とはいきません。私は以前から削られたタイヤの粉末はどこに行ってしまうのだろうと常々考えていました。現代の車両台数から想像すると、タイヤの粉塵は相当な量になるはずです。さらに全世界で走行している車両の数を考えると、呑気にドライブなどしている場合ではないかも…

なぜそんなに心配するかと言うと、タイヤを構成しているものが高分子だからです。化学的な知識は皆無ですが、なんとなく分解されにくい物質であることは想像がつきます。

組成や分子構造が違いますが、天然の高分子にセルロースがあります。その代表的なものは誰もが知っている植物の繊維。樹木などを構成しているのがセルロースです。倒木が何年も朽ちずにその場に転がっているのを一度は見たことがあるのではないでしょうか。そんな腐りにくいセルロースでも菌類たちの力によって時間をかけて分解されます(完全に分解されるのではなく、他の生物が利用できるように形を変える)。しかし、合成ゴムを分解する菌類って耳にしたことがありません。私たちが出すタイヤの粉塵は、いったいどこに行ってしまうのでしょう。

まずひとつの形として間違いなく空気中に漂っているはずです。舞い上がらなかったものは雨に運ばれて川や海に流れ着いていることでしょう。またあるものは土壌に埋もれているかもしれません。これら高分子の残骸が生態に与える影響とはいったいどんなものなのでしょうか?

もしかすると、私たちは知らず知らずのうちに肺の中に取り込んでいるでしょう。また、それを体内に取り込んだ生きものたちを私たちは食べているかもしれません。

ここ10年から20年の間でしょうか、花粉症に代表されるアレルギー疾患がクローズアップされています。それらがモータリゼーションの隆盛と重なり合っているのではないかと想像してしまいます。でも、車両台数と花粉症の増加をグラフにしたら、両者はピタリとは重ならないと思います。なぜなら、疾患が顕在化するには少なからず時間がかかるから。ある種の病気には潜伏期間があります。それと同様のことが考えられるからです。もっとも、花粉症の原因は食べ物の変化(化学物質たっぷりの食料)と寄生虫との関係の方が密接だと思います。問題の本質は、まだ解明されていない病気の原因になっているのではないかということです。楽天的な見地に立てば、毒素を出すようなものではないので、他の化学物質と結合して有毒なものにならない限り安心だと思えばいいことですが…

きっと、タイヤの粉塵が環境に与える影響はどこかの研究機関で調査されていると思います。しかし、その回答は一度も耳にしたことがありません。仮にとんでもない結果が出たとしても、すぐに使用をやめることはできないでしょう。現代は車なしには成り立たない構造になっていますから。だからといって放っておくわけにはいきません。とにかくどんな形でもいいから回答がほしいものです。

以上、日常の妄想のひとつを書き記してみました。



こんな妄想はあまり人に話せたものではありません。ただし、一度だけ知人に話したことがあります。

「えっ、そんなこと考えたことありませんでした」

この一言で、タイヤの話題は幕を閉じてしまったことは言うまでもありません。

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ボクは真夜中に海を泳ぐ

それは菌類の海である。

誤解を恐れずに言おう。

「風呂は雑菌の培養液である」



本日は久々に早い時間に会社から帰宅。おかげで9時半頃に風呂に入って、多少のんびりできた。ちょっと余裕があるので一文をしたためているわけである。

通常なら風呂に入るのは0時前後。その頃になると風呂も冷め、お湯もなんとなく濁っている。わが家は核家族ではないので、一般家庭よりも人数が多い。なのでサラサラのお湯であるわけがない。きれい好きの女性なら足も入れぬであろうそのお湯に私はとっぷり浸かり、くつろぎにはほど遠い気分を味わう。へんな焦燥感に駆られ、清掃作業と呼んでもいいような動作で体や髪を洗い、そそくさと浴室を後にする。

本心を言えば、お湯を沸かし直して入りたいところだが、それは時間の無駄。睡眠時間が減るだけだ。疲れている。めちゃくちゃ疲れている。ときにはお湯のなかで朦朧としてうたた寝してしまうことも。

うたた寝をしながら夢を見ることがある…

…ここは海だ。そう、原始の海のように単純な生物が泳ぎ回る世界。

「自分は今、菌類と世界を共有している!」

それは嬉しいような、悲しいような、複雑な気分になるひととき。



たぶん、冷めたお湯の温度は28℃〜35℃くらいだろう。この温度は爆発的に菌類を増殖させるに違いない。それにしても微妙な温度である。人の体温が37℃前後と言われているが、冷めたお湯の温度に比較的近い。

人の体温はなぜ37℃前後なのだろう。菌類の大繁殖温度帯より少し高めに設定されているのだろうか。それとも37℃は大繁殖帯に含まれているが、繁殖を拒む特殊な防御機能が備わっているので難を逃れているのだろうか。

菌類たちの生暖かい海に身を置くといろいろな空想がかき立てられる。

この海のなかを自在に泳ぎ回るのはどのような菌なのか。顕微鏡でぜひ見てみたいものだ。たぶん、嫌気性で高温にも比較的耐性のある菌類であろう。分裂あるいは繁殖のスピードはどれくらいなのだろう…

疲れているのにへんな妄想が止めどなく湧いてくる。私の場合、こんなことは日常茶飯事でいい暇つぶしになっている。

今回たまたま、おやじの日常の隠れた断片を書き記したので、これを機に「へんてこワールド/妄想の世界」とでも題してシリーズ化でもしてみようかと考えている。

一歩間違うと狂気の世界にもなりかねないが…


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写真と本文は関係ないが、画像がないと寂しいので掲載。これは変形菌(粘菌)のなかのムラサキホコリと呼ばれるものの一種。

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